「別れたほうがいいのはわかってる。でも、別れられない」
その言葉を、この取材で何度聞いたかわからない。
ギャンブル好きな彼氏を持つ女性が抱える悩みは、浮気や暴力とは少し違う質感を持っている。目に見える被害者がいないぶん、「これって本当に問題なの?」と自分に問い返してしまう。「私が心が狭いだけかも」「男の人ってそういうもんかも」と、自分の感覚を疑うことに慣れていく。
でも気づくと、財布の中身が減っている。約束が守られない夜が増えている。彼の話を聞くたびに、少しずつ自分が削られているような気がしている。
取材は、雨の夜の三軒茶屋から始まった
細い路地に、雨が降っていた。軒先に入りながら場所を探して、適当な居酒屋に駆け込んだ。
最初に話を聞いた篠原さん(仮名・31歳・医療事務)は、もう来ていた。テーブルの端に小さく座って、スマホを伏せて置いていた。こちらが座るなり、「今日、彼と喧嘩してきたんで、ちょっとテンション低いかもしれないですけど」と言った。
「また、パチンコで負けたって。先月も同じことで揉めて。その前の月も。もう何度目だよって感じなんですけど」
苦笑しながら言ったが、目が全然笑っていなかった。
「別れたほうがいいですよね、って聞きに来たわけじゃないんですけど——でも、そう思ってるのは事実で。でも言えなくて。なんでかって、自分でもよくわからなくて」
雨の音が窓の外でしていた。
「別れたほうがいい」と思い始めた瞬間——あの夜の話
——篠原さんが初めて「この人とは無理かも」と思ったのは、いつですか?
「付き合って8ヶ月くらい経ったころ、私の誕生日だったんですよ。ディナーの予約も入れてて、彼も楽しみにしてるって言ってて。当日、集合時間の1時間前に『少し遅れる』ってLINEが来て。待ってたら、30分後に『ごめん、もう少しかかりそう』。結局、2時間待って、彼から電話が来て。『今日、行けなくなった』って」
「行けなくなった理由が——パチンコで大負けして、気分的に無理だって。それを聞いたとき、怒りより先に、なんか笑えてきて。でも笑えてきたその感覚が、一番怖かった。怒れなくなってきてるのかなって、自分で気づいて」
「予約したお店に一人でキャンセルの電話して、コンビニでケーキを買って、家で一人で食べました。27歳の誕生日。ろうそくも立てずに」
一度そこで、篠原さんは水を飲んだ。
「今振り返ると、あの夜に別れるべきだったんですよ。でもその夜に彼から『本当にごめん、絶対埋め合わせする』ってLINEが来て——また信じたんですよね。バカみたいだけど」
「ギャンブルは浮気より別れにくい」——”見えない第三者”という罠
ここで、この取材全体を貫く、ある感情的な構造を整理しておきたい。
ギャンブル好きな彼氏と付き合う女性が「わかってるけど別れられない」状態に陥りやすい理由は、一般に「情が深い」「依存している」などと説明されることが多い。でも私はこの取材を通じて、それとは別の、もっと根の深い問題があると考えるようになった。
それは——「ギャンブルは、浮気や暴力と違って、相手をどこまで責めていいのか、わからない」という感覚だ。
浮気には、具体的な被害者がいる。暴力には、目に見える傷がある。でもギャンブルは、相手の「趣味」や「嗜好」の延長線上にある行為に見える。「パチンコが好き」を責めることは、「お酒が好き」を責めることや、「ゲームが好き」を責めることと、どこが違うのか——その境界線が曖昧なため、女性は自分の不満を「正当化できない感情」として処理し始める。
これを私は取材中、「見えない第三者症候群」と呼ぶようになった。
浮気相手という「具体的な脅威」があれば、怒りは向かうべき方向を持てる。でもギャンブルという「抽象的な習慣」を相手にするとき、怒りは宙に浮く。彼を責めることもできず、かといって自分を納得させることもできず——その宙吊りの状態が、何年も続くことがある。
篠原さんが「怒れなくなってきている」と言ったのは、感情が鈍化したのではなく、怒りを向ける先を見失っているだけかもしれない。
ギャンブル好きな彼氏の、具体的な行動パターン全記録
次に話を聞いたのは、名古屋在住の会社員、田村さん(仮名・28歳)。2年半付き合った彼氏と、半年前に別れたばかりだった。
カフェで向き合うと、髪を短く切っていて、少しだけ表情が明るかった。「別れてから、だいぶスッキリしました」と最初に言ったが、話し込むうちに、声のトーンが変わっていった。
——付き合っていた当時、彼の行動パターンで「これは変だ」と気づいた瞬間を教えてください。
「いくつかあるんですけど——まず、お金を借りようとすること。最初は1万円で、『競馬で取り返す』って言って。私は貸した。取り返せなかったけど、ちゃんと返してくれたんですよ、そのときは。だからまた貸した。そのうち額が増えて、返ってくるのが遅くなって、気づいたら合計で40万以上になってた」
「40万って、口で言うのは簡単だけど——私の3ヶ月分の手取りに近いんですよ。それが、気づいたら消えてた。どこで止めるべきだったかって言ったら、最初の1万円だって今はわかるけど、そのときはわからなかった」
——他には?
「嘘の精度が上がっていくこと、ですかね。最初は下手な嘘だった。でも1年2年経つうちに、すごく上手くなっていくんですよ。今日残業だったって言って、でも残業代は出てなくて、でもそれを指摘すると別の理由を即座に言えるようになって——こういう言い方はしたくないけど、ギャンブルが人に嘘をつかせる練習をさせてる気がして、怖かった」
「あと——勝ったときの話だけ、してくること。負けた話は隠す。だから傍から見てると、たまに大勝ちしてる人に見える。でも実際にはトータルで見ると、絶対マイナスになってて。それを指摘するとすごく不機嫌になって、話が終わる」
お金の話——貸した額、消えた額、戻らなかった現実
田村さんが貸した40万円のうち、最終的に戻ってきたのは12万円だった。残り28万円は、別れた後も返済が続くはずだったが、3回目の振込以降、連絡が途絶えた。
「取り立てに行く気力もなかったし、彼と連絡を取り続けることが、もっとしんどかった。だから諦めた。28万円を、授業料として飲み込んだ」
それは、理性的な判断に見えるかもしれない。でも田村さんは、そう言った後で少し黙ってから付け加えた。
「飲み込んだって言葉、さっと言いましたけど——本当は全然飲み込めてないんですよ。今でも、そのお金があったら何ができたかって、たまに考える。旅行に行けた、資格の学費に使えた、貯金できた。それが全部、パチンコの台に消えたんだって思うと——今でも、夜中にふと、胸がざわつく」
篠原さんも、お金の話では声が少し落ちた。
「私は直接は貸してないけど——彼が金欠のとき、ご飯をおごることが増えて。デートの支払いをほぼ私が持つようになって。計算したことがあるんですよ、一度。1年間でいくら払ったか。交際費の名目で、たぶん30万近い。でもそれって、私が自分で選んだことだから——誰かに怒るわけにもいかなくて」
「誰かに怒るわけにもいかない」という言葉が、長い間、頭から離れなかった。
「変わってくれると信じた」——後悔の告白
三人目は、Zoomで話してくれた関西在住の桐島さん(仮名・34歳)。3年付き合った彼氏に、結婚を前提に「ギャンブルをやめてほしい」と伝え続けた経験を持つ。
画面越しの桐島さんは、落ち着いた話し方をしていたが、ある場面で一度だけ声が揺れた。
——彼に変わってほしいと伝えたとき、彼はなんと言いましたか?
「『わかった、頑張る』って言ってくれたんですよ、最初は。で、実際に1ヶ月くらいやめた。私、それがすごく嬉しくて——この人はやればできる人なんだって思って、感謝の気持ちで一杯になって。この人と結婚しようって気持ちが、もっと強くなった」
「でも2ヶ月目に、またやってた。理由を聞いたら、ストレスが溜まったって。じゃあそのストレスを一緒に考えようって言って、また1ヶ月やめて、また再開して——それを4回繰り返した。気づいたら1年半、同じサイクルの中にいた」
——そのサイクルの中で、一番しんどかった瞬間はいつですか?
少し間があった。
「……4回目にやめてくれたとき、私が『本当にありがとう、信じてる』って泣いて言ったんですよ。そのとき彼が、なんか少し、困ったような顔をしたんです。嬉しそうじゃなくて、困ったような顔。後になってわかったのは——あの顔は、やめる気がないのに私を泣かせてしまったことへの、後ろめたさだったんだと思う」
「嘘をついてるのは彼だって、ずっと思ってたけど——もしかしたら嘘をついてたのは、私だったのかもしれない。変わってくれると、信じたかっただけで、本当はわかってたんじゃないかって。今でも、そこだけは答えが出ない」
別れを決断した女性・できなかった女性——分岐点はどこか
田村さんは別れた。桐島さんも、最終的に別れた。篠原さんは、今もまだ迷っている。
その違いはどこにあったのか。
田村さんはこう言った。「決断できたのは、友達に全部話したからです。それまで恥ずかしくて言えなかった。40万貸してるとか、デート代をほぼ私が払ってるとか。でも言ったら、友達が真顔で『それ、おかしいよ』って言ってくれて。おかしい、って言葉が欲しかったんだと思う。自分の感覚が正しかったって、誰かに確認してほしかった」
桐島さんの決断は、もっと静かなものだった。「ある日の朝、目が覚めたら——なんか、疲れ果ててたんですよ。怒りとか悲しみとかじゃなくて、ただ疲れた。この人のために何かしようとする気力が、完全に底をついた感じがして。それが答えだと思った」
篠原さんはまだ、その「疲れ果てる」感覚に至っていない。
「まだ彼のいいところが見えるんですよ。ギャンブルのこと以外は、本当にいい人で。優しいし、面白いし、私のことは大事にしてくれてる。だからこそ——どっちが本当の彼なのか、ってずっと迷ってる」
その「いいところ」と「問題」を天秤にかけ続けることが、最も人を消耗させる、と取材を通じて感じた。
ギャンブル依存と「普通のギャンブル好き」——見分けるための、現実的なサイン
「ギャンブルが趣味」と「ギャンブル依存症」の境界線は、当事者には非常に見えにくい。以下は、取材と当事者の声から浮かんできた、具体的なサインの整理だ。
お金の管理に異変が出ている 給料日前に金欠になる頻度が高い。貯蓄がほぼない。お金を借りようとする。「一時的」と言いながら、借りる頻度が増えていく。
嘘が増え、精度が上がっていく 居場所をごまかす。使ったお金の説明が変わる。勝った話はするが、負けた額を言わない。発覚したとき、即座に別の理由を提示できる。
感情のコントロールがギャンブルに依存している 楽しいことがあったから行く、ではなく。ストレスがあるから行く。嫌なことがあったから行く。ギャンブルが「気分のリセット手段」になっている。
「やめる」を繰り返す 求められるとやめると言う。一時的にやめる。再開する。これを繰り返す場合、「やめると言えること」自体が、関係を維持するための手段になっている可能性がある。
田村さんはこれを振り返ってこう言った。「最初から依存だったかどうかはわからない。でも付き合ってる3年間で、確実に悪化してた。それに気づくのが、遅すぎた」
最後に「疲れた」が答えになる日のこと
雨が弱まってきたころ、篠原さんが最後に言った言葉を書き留めておく。
「今日、全部話して——少しだけ整理できた気がする。でも答えは出てない。帰ったら彼から連絡来てると思うし、今夜また話し合いになると思うし」
「ただ、一個だけわかったのは——私がずっとモヤモヤしてたのは、彼のことじゃなくて、自分のことだったのかもしれない、ってこと。彼がギャンブルをやめないことじゃなくて、やめないと知ってるのに別れない自分のことを、一番責めてた。それに気づいたら、少し、ラクになった気がした」
ギャンブル好きな彼氏と別れるべきか、という問いに、この記事は明確な答えを出していない。それは、答えが人によって違うからというきれいな理由ではなく——答えを出せるのは、本人だけだからだ。
ただひとつ、取材を通じて言えることがある。
「おかしい」という自分の感覚を、ずっと疑い続けなくていい。お金が消えることも、約束が守られないことも、誕生日に一人でケーキを食べることも——それを「仕方ない」と飲み込み続けることが、正しい愛情の形ではない。
田村さんは別れて半年、28万円は戻っていない。でも「あの頃の自分より、今のほうが、自分のことが好き」と言って、笑った。
桐島さんは今、新しい人と付き合っている。「ギャンブルをしない人、っていう条件を最初に確認した。そんな条件、昔は絶対つけなかったのに」と言って、少し遠い目をした。