明るくなろうとしていた頃の私は、たぶん、人生でいちばん人に嫌われていた。
二十代の半ば、合コンにも会社の飲み会にも、誘われたら全部出た。根暗を直すには場数だと、どこかで読んだからだ。笑顔の練習もした。会話が途切れないように、話題のストックを通勤電車でメモしていた。天気、最近のニュース、休みの予定。そこまでやって、参加した飲み会の帰り道、私は毎回ひとりでコンビニに寄って、肉まんを買って泣きそうになりながら食べていた。
疲れ果てていたのに、誰とも仲良くなれていなかった。それが一番こたえた。あれだけ頑張って、席替えのたびに笑顔を作って、なのに次の週には誰からも連絡が来ない。三年くらい、これを続けた。人間関係って面倒くさいな、と本気で思い始めていた。人間不信の一歩手前まで行った。
今ならわかる。あの頃の私は、克服の方向を丸ごと間違えていた。
明るいふりをするほど、人は離れていった
これ、けっこう残酷な話なんだけど。根暗な人が無理に明るく振る舞うと、周りは「明るい人が来た」とは受け取らない。「何か無理してる人が来た」と受け取る。私はそれに何年も気づかなかった。
緊張は、思っている以上に伝染する
飲み会の席で、私はずっと必死だった。会話が途切れたらどうしよう。つまらないと思われたらどうしよう。頭の中でそればかり計算しながら、口元だけ笑っている。その状態の人間が隣に座っていたら、正直、しんどいと思う。相手も無意識に気を遣う。私の緊張が伝染して、相手まで疲れる。
つまり私は、明るくしようと努力すればするほど、その場の空気を重くしていた。良かれと思ってやっていたことが、そのまま人を遠ざける原因になっていた。笑っちゃうくらい本末転倒だった。当時の私に一言だけ声をかけられるなら、頼むから黙って座っていてくれ、と言いたい。
感情に蓋をしすぎて、自分の本音が分からなくなった
いつも明るく、を自分に言い聞かせ続けた結果、妙なことが起きた。ある日、友人に今日は元気そうだねと言われて、はい元気です、と答えたあと、あれ、私は今どんな気分なんだっけ、と本気で分からなくなった。悲しいのか、疲れているのか、なんとも思っていないのか。自分の内側を読む機能が、鈍っていた。
明るさを演じるというのは、要するに、自分の感情を毎回上書きし続ける作業だ。これを何年も続けると、上書き前の元データが消える。人間関係を良くするために始めたことで、自分の輪郭が薄くなっていた。ここまで来て、ようやく私は方向転換した。
克服の意味を、性格改造から棚卸しに変えた
三十歳を過ぎたあたりで、考え方を根っこから入れ替えた。根暗を治すのはやめる。代わりに、根暗のままでちゃんと機能する場所を探す。この方針転換が、結果的に、私の人間関係をいちばん変えた。
直すべきは性格じゃなくて、居る場所だった
思い返すと、私が惨敗していた場は、全部同じ条件を持っていた。人数が多い。初対面が多い。共通の話題がない。話が続けられるかどうかで値踏みされる。合コン、大人数の飲み会、立食のパーティー。この四つが揃った場所は、根暗な人間にとって、丸腰で戦場に立たされるようなものだ。そこで負け続けて、自分の性格が悪いと結論づけていた。でも実際は、装備と地形の相性が最悪だっただけだった。
逆に、条件を変えたらどうなるか。少人数で、顔ぶれが固定で、共通の話題があって、黙っていても許される時間がある。そういう場に移った瞬間、私は普通に喋れた。性格は一ミリも変わっていないのに、だ。
自分に効いた場所の条件を、三つに絞った
いろいろ試して、私にとって機能する場の条件は、だいたい三つに整理できた。
ひとつ、共通の話題が最初からあること。私はゲームのオフ会で、それを痛感した。行く前は胃が痛くて、何度も断ろうとした。でも当日、その日のアップデートの話から始まったら、あとは何も考えずに口が動いた。話題を探さなくていい環境では、私は根暗ではなくなる。
ふたつ、人数が少ないこと。四人までがいい。それ以上になると、発言の順番待ちが発生して、私は永久に手を挙げられなくなる。
みっつ、役割があること。これが意外と効く。私はある集まりで、細かい記録係みたいなことを引き受けた。すると、喋らなくてもそこに居ていい理由ができた。存在を許可されている感覚は、根暗な人間にとって、酒より効く。
話し方の練習より、先にやるべきことがあった
会話術の本も、山ほど読んだ。傾聴、オウム返し、質問の返し方。ぜんぶ頭に入れた。でも私の人間関係を実際に動かしたのは、そういう技術ではなかった。
挨拶を一年続けたら、勝手に話しかけられるようになった
やったことは、驚くほど地味だ。朝の挨拶を、毎回きちんと相手の顔を見て言う。それだけ。無理に雑談へ持っていこうとはしない。天気の話を三十秒だけして、あとは自分の仕事に戻る。これを一年続けた。
ある日、上司にふと、最近話しかけやすくなったね、と言われた。心底驚いた。話す量は、たぶん昔とほとんど変わっていない。変わったのは、話しかけていい人だと認識されたかどうか、だけだ。人が誰かに声をかけるかどうかは、その人が面白いかどうかで決まっていない。断られなさそうかどうかで決まっている。根暗な人が損をしているのは、性格ではなく、この断られそうな空気のほうだ。
事実と、自分の解釈を分ける
もうひとつ、地味だけど効いたことがある。返信が遅い相手に対して、嫌われた、と即断するのをやめた。事実は、返信が遅い。それだけ。相手が忙しい可能性も、通知を見落とした可能性も、同じくらいある。私はずっと、そのうちの一番痛い解釈だけを選び取って、勝手に落ち込んでいた。
この癖を自覚してから、誘うことが少しだけ怖くなくなった。断られても、それは私の人格の否定ではなく、単にその日の都合が悪かっただけかもしれない。この考え方に慣れるまで、半年はかかった。今でもたまに、古い癖が出る。
変わったのは、友達の数じゃない
こういう記事は、たいてい、友達が増えました、で終わる。でも私の場合、数はほとんど増えていない。ちゃんと連絡を取り合う相手は、いま三人だ。二十代の頃、飲み会に月四回出ていたときより、たぶん少ない。
三人しかいないのに、あの頃よりずっと楽になった
数は減ったのに、生活は明らかに楽になった。仕事のストレスも減った。困ったときに相談できる相手がいる、という一点だけで、精神の消耗量が全然違う。あの頃の私が欲しかったのは、実は大勢の知り合いではなく、この三人だった。それに気づくまでに、無駄に十年近くかけた。
数を増やそうとしていた時期の自分を、今はちょっと気の毒に思う。頑張り方が悪かっただけで、頑張ってはいたのだ。
根暗が治ったかというと、まったく治っていない。今でも大人数の飲み会に呼ばれると、行く前から憂鬱になるし、当日は隅の席を探す。初対面の人と二人きりになると、話題が枯れて、変な汗をかく。そういう自分は、たぶん死ぬまで変わらない。ただ、それでいいと思えるようになった。全員に好かれる必要はなかった。全部の場で機嫌よくいる必要もなかった。私は私が機能する場所を三つくらい知っていて、そこで会う数人がいて、それ以外の場所では、今日も相変わらず黙って壁際に立っている。克服という言葉から想像していた景色とは、ずいぶん違う。でも、コンビニで肉まんを買って泣きそうになっていた頃よりは、ちゃんと息ができている。