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彼氏に当たってしまうのをやめられなかった私が、彼に出ていかれた夜のこと

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やめたいんです。本当に。優しくしたいと思っている相手に、なぜか一番きつい言葉をぶつけてしまう。投げつけた直後から後悔して、自分で自分が嫌いになる。それなのに、次の週にはまた同じことをしている。彼氏に当たってしまう、と検索する手が止まらなかった夜を、たぶんあなたも知っていると思います。今回話を聞いた女性は、その繰り返しの果てに、一度彼に荷物をまとめられた人でした。

平日の夜、駅前のチェーンのカフェで会いました。ナオさんは仕事帰りで、夜勤明けだという顔に疲れがにじんでいました。29歳、看護師、仮名です。注文したカフェラテに口をつける前に、彼女はぽつりと言いました。

「私、たぶん性格が悪いんだと思ってたんです。ずっと。こんなに優しい人に当たるなんて、自分は人間として欠けてるんだって」

その自己嫌悪の話を、彼女は堰を切ったように話し始めました。

目次

他人には我慢できるのに、彼にだけ牙を剥いた

夜勤明けに、彼へ投げつけた言葉

ナオさんの仕事は、心も体も削れる激務だといいます。夜勤が続けば睡眠も生活リズムも崩れる。それでも職場では、患者にも先輩にも、笑顔を絶やさない。

「外ではめちゃくちゃ我慢できるんですよ。理不尽な患者さんにも、きつい先輩にも、はいはいって受け流せる。なのに、家に帰って彼の顔を見た瞬間、堰が外れるんです」

具体的に、どんなふうに。

「夜勤明けでへとへとで帰ったら、彼がソファでゲームしてて。それだけで頭にカッと血がのぼって、あなたはいいよね座ってるだけで、って。彼が、俺も今日仕事だったよって言ったら、私の疲れと一緒にしないでって畳みかけて。LINEの返信が三十分遅いだけで、なんで無視するのって責めたこともあるし、部屋が散らかってるのを見て、こっちは命削って働いてるのにって、関係ない八つ当たりをぶつけた夜もありました」

PMSの時期は、さらにひどくなったといいます。

「生理前は、彼の今日何食べたいって優しい質問にすら、何でもいいって冷たく返す。一度、洗い物のお皿を流しに叩きつけて割ったこともあります。割れた音で我に返って、自分で自分が怖くなりました」

当たる相手は、いつも一番優しい人

ここで私は、ひとつ気づいたことがありました。彼女が当たる相手は、いつも決まっていた。

「そうなんです。彼、本当に優しい人で。私がどれだけひどいことを言っても、最初の頃は、疲れてるんだね、ごめんねって受け止めてくれてた。怒り返してこない。だから余計に……これ言うと最低なんですけど、この人なら何を言っても大丈夫だって、心のどこかで思ってたんです」

職場の人には当たらないのに、なぜ彼にだけ。彼女は少し黙ってから、声を落としました。

「職場の人は、当たったら関係が終わるじゃないですか。嫌われたら困る。でも彼は、当たっても去らない。去らないって、勝手に信じてた。今思うと、その信頼が一番たちが悪かった」

なぜ、いちばん大事な人にだけひどくなるのか

安全だと判断した相手にしか、生の感情は出せない

ナオさんの話を聞きながら、人の心の仕組みについて考えていました。

人は、ここでなら感情を出しても見捨てられない、と無意識に判定した相手にだけ、加工していない生の感情を出します。職場で笑顔を保てるのは、そこが安全ではないと知っているから。家で爆発するのは、そこを安全だと脳が決めているから。だから皮肉なことに、一番ひどく当たれる相手は、その人が世界で一番安心している相手なんです。

「当たるのは、彼を軽く見てたからじゃなかった、ってことですか」彼女が顔を上げました。「むしろ、彼を一番信頼してたから……?」

半分はそうだと思います。ただ、もう半分に落とし穴がある。その安全は、彼女の権利ではありませんでした。

「彼がいつも受け止めてくれてたから、安全に見えてただけなんですよね」彼女が引き取りました。「私が安心して当たれる場所は、彼が毎回ぐっとこらえて、作ってくれてた場所だった。私はそのこらえてる姿を、一度も見ようとしなかった」

当たる側が信じている安全は、当たられる側が踏ん張り続けることで保たれている。その労働を見ないまま甘え続けると、安全だと思っていた地面は、ある日いきなり抜けます。

怒りの差出人は、本当は彼じゃなかった

もうひとつ、彼女が後から気づいたことがありました。当たっても、ちっともすっきりしなかったということ。

「彼を責めた直後は、一瞬だけ楽になるんです。でもすぐ、もっと嫌な気持ちになる。で、また溜まって、また当たる。この無限ループが何年も続きました」

なぜ晴れないのか。私なりの見方を伝えました。彼女が彼にぶつけていた怒りは、本当の差出人が彼ではなかったからです。

「疲れの差出人は職場。イライラの差出人はホルモン。連絡が遅れて不安になるのは、前の彼に浮気されたトラウマ。どれも彼のせいじゃないんですよ。なのに私、全部の感情を彼の住所に誤配してた」

宛先を間違えた手紙は、いくら届けても本来の相手には届きません。だから怒りの根は永遠に処理されない。彼を責めても、疲れている自分も、不安な自分も、傷ついた過去も、何ひとつ解決しない。

「目の前にいて、絶対に去らないって信じてた人だから、配達しやすかったんです。一番近くて、一番安全なポストに、関係ない怒りを全部突っ込んでた。彼からしたら、たまったもんじゃないですよね」

彼に出ていかれた夜

もう疲れた、と言われて

地面が抜けたのは、ある冬の夜だったといいます。その日も彼女は、些細なことで彼に激しく当たった。いつもなら謝れば収まる。でもその夜は違いました。

「彼が黙って、クローゼットから服を出して、バッグに詰め始めたんです。私、最初は脅しだと思って、勝手にすれば、って言っちゃった。そしたら彼、初めて、低い声で言ったんです。もう疲れた、って」

彼女の声が、そこで少し震えました。

「ずっと我慢してた、君が辛いのもわかるから、受け止めようとしてきた、でも俺もう限界なんだ、って。あの優しい人が、玄関で靴を履きながら、目も合わせずに言って。ドアが閉まる音を聞いて、初めてわかったんです。あ、私、この人を消耗品みたいに使ってたんだって」

彼は数日間、戻りませんでした。連絡もつかなかった。

「あの数日、ほとんど眠れませんでした。当たってる間は気づかなかったけど、彼がいない部屋って、こんなに静かで怖いんだって。送ったメッセージも既読がつかなくて、自分がしてきたこと全部が、夜中に順番に襲ってきました。正直、あの時期は本当に消えたいくらい自分が嫌でした」

直ってない。でも誤配を止める練習をしている

彼は戻ってきました。ただ、彼女はそれを当然とは思っていません。

「戻ってきてくれたのは、彼の優しさであって、私が許された証拠じゃないんです。次はないって、自分でわかってます」

何が変わったのか聞くと、彼女は慎重に言葉を選びました。

「魔法みたいに直ったわけじゃないです。今でもイラッとするし、きつい言葉が喉まで出かかる。でも、出す前に一回だけ自分に聞くようにしたんです。これ、本当に彼に怒ってる? それとも仕事? 生理? 昔の傷? って。たいてい、彼じゃないんですよ。だったらこれは誤配だから、彼のポストに入れちゃだめだって、寸前で止める」

止めきれない日もある、と彼女は正直に付け加えました。

「失敗もします。あ、また当たっちゃったって日もある。そういう日は、すぐに謝るようにしてます。ごめん、今のは仕事のイライラを持ち込んだ、あなたは関係なかったって、ちゃんと差出人を言葉にして。あと、彼ともルールを作りました。私が爆発しそうなときは、一回別の部屋に行く、って」

最後に、もう当たらない自信はありますか、と聞きました。彼女は首を横に振って、苦笑しました。

「ないです。たぶん一生、付き合っていく癖だと思う。直したというより、見張ってる感じ。あの夜、ドアが閉まった音を忘れないようにしてるんです。あの音が、私のブレーキなので」

カフェを出ると、夜の街は冷えていました。彼女はマフラーを巻きながら、ひとりごとみたいに言いました。一番優しい人にいちばんひどくできてしまう自分を、許してはいないけど、もう逃げないことにしました、と。それは反省というより、これから先ずっと続く監視のはじまりの言葉のように、私には聞こえました。

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