鏡を見たら、やつれた自分がいた。
いつからこんなになったんだろう。仕事して、家事して、育児して、夫のソファでの姿を横目で見て。こんなはずじゃなかったという言葉が、毎晩頭の中で繰り返された。
結婚しなければよかったと思った人たちに話を聞いた。彼らが本当に後悔していたのは、相手の選択だけじゃなかった。
やつれた自分に気づいた日―「この人となら幸せになれる」と思っていたのに
吉祥寺の定食屋。平日の夜、麻衣は結婚5年目の現実を語った。37歳、会社員。
「夫は優しいと言えば聞こえがいいんですけど、自分のペースを崩さない人で」
子供が生まれてから、麻衣の負担が一気に増えた。夜中のおむつ替えもほとんど一人。朝の送迎、夕飯作り、洗濯、仕事。
「夫は俺は仕事で疲れてるってソファに座ったまま。最初は家族のためって我慢してたんですけど」
ある日、鏡を見た。
「やつれてた。自分でも驚くくらい。友達に相談したら離婚を考えたらって言われたけど、子供のことを思うと踏み切れなくて」
麻衣は当時の自分を振り返る。
「結婚前は、この人となら幸せになれるって思ったんですよ。今は、自由に生きていたら、もっと自分らしくいられたのにって後悔が積み重なってる。でも言えないんです、夫には。子供の前で崩れたくないから」
夫婦の会話は減った。ルーチンで過ごす日々だけが続いている。
「こんな生活が続くのかと思うと、胸が苦しくなります。でも出口が見えないんです、今は」
我慢という選択が積み重なって形を変えるもの
家族のため。子供のため。そういう理由で我慢を続けると、我慢はいつの間にか日常になる。日常になった我慢は、感情として認識されなくなる。そしてある日、鏡の前で気づく。自分がいなくなっていたことに。
麻衣の友人、奈々は34歳。彼女も同じような夜を経験した。
「産後うつ気味になった時も、夫は俺も疲れてるって取り合ってくれなくて。実家に相談したら離婚を考えなさいって言われたけど、子供が小さい今、シングルマザーになる不安が大きくて」
奈々は続けた。
「結婚前は、パートナーとして支え合えると思ってた。現実は一方的な消耗戦で。独身でキャリアを磨いてた頃の自分が、遠く感じられる」
小遣い制と趣味の制限―「こんなはずじゃなかった」と心の中で叫んだ夜
渋谷のバー。金曜の夜、健一は独身の友人との飲み会の後、そのまま話してくれた。43歳、会社員。
「勢いで結婚したんです。最初は妻の明るくて社交的なところが好きだったんですけど、結婚後から家計管理が厳しくなって」
毎月の小遣いが制限された。趣味の車いじりに文句を言われた。給料を全部把握された。
「旧友と飲みに行った帰りに、遅いって長文メッセージが来て喧嘩になって。その夜、こんなはずじゃなかったって心の中で叫んだんです」
健一は独身時代を思い出す。
「自分の時間を自由に使えて、貯金も趣味も充実してた。今はすべて家族優先で」
健一は離婚を考えたことがある。でも踏み切れない。
「慰謝料とか、子供の面会とか。考えると足踏みしてしまって。結婚しなければ、もっと穏やかな人生だったのかもしれないって思う日がある。でもそれが正しいかどうかも、実はよく分からなくて」
後悔という感情の複雑さ
結婚しなければよかったという後悔は、単純ではない。その後悔の中に、子供への愛情がある。配偶者への感情の残滓がある。別の人生への想像がある。全部が混在している状態を、後悔という一言で整理しようとするから、余計に苦しくなる。
健一の同僚、雅彦は45歳。彼は妻との価値観の違いで悩んでいる。
「妻は派手好きで、旅行や買い物に多額のお金を使う。俺は堅実派だから、貯蓄が減っていくのがストレスで。子供の教育方針も対立して、口論が絶えない」
雅彦は最近、妻の不倫の噂を聞いた。
「信頼が崩れた。でも離婚を切り出す勇気が出ない。独身時代は自分のペースで生きて、仕事に没頭できてたのに。あの時、結婚を急がなければって後悔ばかり」
雅彦は続けた。
「悶々とした日々が続いてる。でも正直、結婚してよかったことも確かにあって。子供の笑顔は、何物にも代えられないから。その矛盾の中で生きてる」
夜中に一人で「自由に旅行できたのに」と泣いた話―ワンオペ育児の孤立感
吉祥寺のカフェ。休日の昼、沙織は現在進行形の苦しさを語った。32歳、会社員。
「夫は優しいんです。でも結婚後すぐに仕事が忙しくなって、ほとんど家にいなくて」
ワンオペ育児で精神的に追い詰められた。産後うつになった。夫は頑張れと言うだけで、具体的なサポートはなかった。
「実家が遠いから、助けを求められなくて。孤立感が強くなっていって」
ある夜、子供を寝かしつけた後、一人で泣いた。
「結婚しなければ、自由に旅行したり、趣味を楽しめていたのにって。あの夜の涙、今でも覚えてる」
沙織は友人たちが幸せそうに見えた。
「自分の人生は違う道だったのかもしれないって思って。でも離婚を考えると、経済的な不安が先に来て。踏み切れないでいる」
沙織は少し間を置いて言った。
「夫のことは嫌いじゃないんです。ただ、もう少し隣にいてほしかった。それだけのことが、こんなに大きな後悔になるんだなって」
孤立感という見えない重さ
物理的に一人じゃない。夫がいる。子供がいる。でも精神的に孤立している状態は、一人でいるより重いことがある。支えてくれると思っていた存在が、実際には支えてくれない時、その落差が孤立感を深める。
沙織の先輩、由美は40歳。彼女はモラハラが結婚後に表面化した。
「仕事の継続を反対されて、退職を余儀なくされた。外出するたびに詮索されて、友人との連絡も制限されて」
由美は夜中に一人で泣く日々があった。
「この人と一緒にいるくらいなら、一人でいた方がマシって本気で思いました。結婚は人生のゴールだと思ってたのに、日常の小さな違和感が積み重なって、大きな後悔に変わっていった」
由美は今、離婚調停を考えている。
「過去の選択を何度も振り返ってる。でも振り返っても変わらない。今、何をするかしかないって、最近ようやく思えてきた」
後悔という感情と、それでも続く日常の間で
恵比寿のバー。週末の夜、数人が静かに語り合っていた。テーマは、結婚しなければよかったという後悔だ。
「後悔してる自分を認めていいのか、ずっと迷ってた」
そう語るのは、36歳の女性だ。
「幸せじゃないと言ったら、夫に失礼な気がして。子供に申し訳ない気がして。でも後悔してる感情は本物で、その感情を否定してたから、余計に苦しかったのかもしれない」
彼女は少し考えてから続けた。
「後悔と、今を生きることは、両立できるんだと思うようになって。過去の選択を悔やみながら、今ここにある関係を大切にすることも、できるんじゃないかって」
隣に座る男性も頷いた。
「結婚しなければよかったって思う瞬間と、この人でよかったって思う瞬間が、同じ週に来ることがある。矛盾してるけど、それが正直なところで」
結婚しなければよかったという後悔は、人生のある瞬間に訪れる。その感情を持つことは、弱さじゃない。現実と向き合っているということだ。
麻衣は最後にこう言った。
「後悔してる感情を認めたら、少し楽になったんです。否定してた時の方が、もっと苦しかった。後悔を抱えたまま生きていく覚悟が、ちょっとずつできてきた気がする」
彼女はグラスを置き、席を立った。外は静かな夜だった。帰れば夫がいる。子供がいる。後悔も、愛情も、全部そこにある。