そろそろ結婚しないの。いい人いないの。早く孫の顔が見たいわ。繰り返されるそのひと言ひと言に、じわじわ削られている人は多いと思います。この問題のいちばんやっかいなところは、言ってくる人に、悪気がないことです。心配して、気遣って、あなたのためを思って言ってくる。だから、怒ることもできない。今回、これに苦しめられた人と、かつて良かれと思って言っていた側の人、両方に話を聞きました。
最初に会ったケンジさんは、33歳のITエンジニアです。一人暮らしで仕事も順調。でも、ある一点だけが、彼の毎週末を憂鬱にしていました。
「母からのLINEなんです。これがもう、止まらなくて」
そう言って、彼は少し疲れた笑みを浮かべました。
悪気がないから、怒ることもできない
心配してるだけ、と言われると防げない
ケンジさんのスマホには、実家の母親から、ほぼ毎日メッセージが届くといいます。
「いい年して結婚しないと後悔するよ、とか。お母さん心配で夜も眠れないのよ、とか。お見合いでもいいから一度会ってみたら、とか。返信をためらってると、無視しないで、ってさらに来るんです。週末になると、スマホを見るのが怖くなって」
はっきり、やめてほしいと言えないのか。そう聞くと、彼は首を振りました。
「言えないんですよ。だって、母は本気で心配してるんです。悪意でやってるなら、まだ言い返せる。でも、あなたのためを思って、心配で眠れない、って言われたら、こっちが冷たく突き放してるみたいになるじゃないですか。善意でくるものって、どう防げばいいのか、わからないんです」
はっきり拒むと、冷たい人にされる
ここに、結婚ハラスメントの最初のからくりがあります。それが、善意の顔をしてやってくること。
悪意のある攻撃なら、まだ戦えます。理不尽だと指摘できるし、怒る正当性もある。でも、心配、気遣い、あなたのため、という形でくると、はっきり拒んだ瞬間に、せっかく心配してるのに冷たい、と、こちらが加害者にされてしまう。怒る権利を、先に奪われているんです。
「帰省するたびに、同じ話で責められて」ケンジさんは続けました。「会話が噛み合わなくなって、だんだん帰る回数を減らしました。でも、距離を置いたら置いたで、親不孝してる罪悪感が消えなくて。今、精神科でカウンセリングを受けながら、自分のペースで生きていいんだって、少しずつ自分に言い聞かせてます」
善意は、いちばん防ぎにくい攻撃です。
「あなたのため」は、本当に誰のためなのか
良かれと思って結婚を勧めていた側の告白
では、言う側は、何を考えているのか。これを知りたくて、かつて言う側だったという人に会いました。ヨウコさん、50代の管理職の女性です。
「私、若い頃、独身の部下に、結婚しなよ、いい人紹介するよって、しょっちゅう言ってたんです」彼女は、申し訳なさそうに話し始めました。「自分が結婚して幸せだったから、この子にもその幸せを、って。完全に善意でした。良いことをしてるつもりだったんですよ」
転機があったといいます。
「ある女性の部下が、ある日、私の前で泣いたんです。プライベートのことは、もう言わないでください、って。私、ぽかんとして。良かれと思ってたことが、その子をずっと追い詰めてたんだって、初めて気づいて。頭を殴られたみたいでした」
善意の奥にあった、自分を肯定したい気持ち
ヨウコさんは、その後、自分がなぜあんなに人の結婚を気にしていたのか、考えたそうです。
「正直に言うと、純粋にあの子のため、だけじゃなかったんですよ」彼女は、声を落としました。「私が選んだ人生、結婚して家庭を持つっていう道を、正解だって確かめたかったんだと思います。自分と違う生き方をしてる人がそばにいると、なんだか自分の選択が揺らぐ気がして。だから、みんな同じ道に来なよ、って。あれは、あの子のためじゃなくて、私が安心するためだったんです」
ここに、あなたのため、という言葉の正体があります。なぜ人は、他人の結婚をそこまで気にするのか。その奥には、自分の選んだ人生を正解だと確認したい気持ち、自分の不安の投影、世間体、相手を自分の理解できる枠に収めたいという気持ちがある。心配の形をしているけれど、根っこでは、言う側自身が安心するために言っていることが、少なくない。
だから、何を言っても止まらないんです。相手の不安は、相手のもの。あなたが結婚することで、その人の不安を解消してあげる義理は、どこにもありません。ヨウコさんが、はっきり言いました。
「だから、言われてる側の人に伝えたいんです。あなたのため、っていう言葉を、真に受けすぎないで。あれは半分、言ってる側の都合だから。あなたが応える必要なんて、ないんですよ」
本当に削られるのは、その場の不快さじゃない
言われ続けて、自分で自分を責め始めた
結婚ハラスメントの本当の害は、その場のいやな空気だけではありません。もっと深いところに、じわじわ効いてくる。それを教えてくれたのが、28歳の営業職の女性ナツミさんです。
「直属の上司から、毎朝のように、そろそろ婚活したら、いい人紹介するよ、って言われてました」彼女は淡々と話しました。「最初は笑って流してたんです。でも、だんだん、仕事よりプライベート優先なの、っていう視線も感じるようになって。大事な案件で、家庭を持ったら大変だから任せられないかもね、って言われたときは、さすがにこたえました」
メンタルが不安定になり、産業医に相談して配置転換を願い出たといいます。ただ、彼女がいちばん怖かったのは、別のことでした。
「いつのまにか、自分で自分を責めるようになってたことなんです。最初は他人が言ってくる言葉だったのに、気づいたら、結婚してない私は、やっぱりどこか欠けてるんだ、遅れてるんだって、自分の中で勝手に再生されるようになってて。それが、いちばん怖かった」
外から来た声を、自分の本心と取り違える
これが、結婚ハラスメントのいちばん深い害です。繰り返されるうちに、外から来たプレッシャーが、自分の中に住みついてしまう。
人生には決まった順序があって、結婚するのが当たり前で、それに乗っていない人は遅れている。そういう、世間が漠然と抱えている標準的なレールの幻想を、いつのまにか自分の本心と取り違えてしまう。本当は、もうそのレールは現実に合っていないのに。結婚しない人も、できない事情のある人も、選ばない人も、たくさんいる時代なのに、言葉と思い込みだけが、古いまま残っている。
ナツミさんは、外から来た声を、自分の声だと信じ込まされていました。そこから抜けるには、その二つを引きはがす作業が必要になります。
外の声を、自分の声から引きはがす
その焦りは、自分の望みか、望まれているからか
回復の出発点は、立ち止まって、自分に問い直すことだと思います。今感じているこの焦りは、本当に自分が結婚したくて生まれているのか。それとも、結婚しないと責められるから、結婚すべきだと思い込まされているだけなのか。
この二つは、まったく別物です。自分が心から望んで焦るのと、周りに望まれているから焦るのとでは、根っこが違う。後者は、自分の声ではなく、内面化した他人の声なんです。
「それ、すごくわかります」ナツミさんが言いました。「私、自分が結婚したいのかどうかも、もうわからなくなってたんです。みんなが急かすから、急がなきゃって思ってただけで。一回、周りの声を全部消して、自分はどうしたいんだろうって考えたら、あれ、今は仕事のほうが面白いかも、って素直に思えて。あの声、私のじゃなかったんだって」
自分が望むことと、望まれていることを切り分ける。外から来た声に、これはあなたのものじゃない、と気づく。それだけで、同じ言葉に削られにくくなります。
境界線を引く、という小さな反撃
その上で、できる具体的なことがあります。境界線を引くこと。ある看護師の女性は、繰り返される結婚話に、プライベートなことはお答えしたくないんです、と、丁寧に、でもはっきり伝えたそうです。最初は気まずい空気になったけれど、徐々にその話題は出なくなり、職場が少し居心地よくなった。同じように感じていた同僚も、勇気づけられたといいます。
境界線を引くのは、相手を変えるためというより、自分の心を守り、自分の声を取り戻すためです。もし採用面接で結婚や出産の予定を聞かれたら、それは答える義務のない、ハラスメントにあたりうる質問ですし、職場のことなら相談窓口もあります。撃ち返せないと思っていた善意の攻撃にも、静かに引ける線は、ちゃんとあるんです。
結婚ハラスメントは、たぶん、すぐにはなくなりません。社会に染みついたレールの幻想は、それほど根深いから。でも、外の声がすぐに変わらなくても、できることがあります。自分の中に住みついてしまった声を、これは外から来たもので、私の本心じゃない、と見分けて、引きはがすこと。ヨウコさんが、最後にこう言っていました。あの頃の私みたいな人は、これからも現れる、だからせめて、言われる側が、その声に飲み込まれないでほしい、と。
社会が変わるのを待つ前に、まず、自分の人生の主導権を、自分の手に取り戻すこと。それが、削られ続けないための、いちばん確かな足場になるのだと思います。