有給明けに出社したら、同じ部署の女性から、いないと寂しかったですよ、と言われる。
その場では、そうですか、と返す。返しながら、頭の中では処理が始まっている。社交辞令だ、と一度打ち消す。打ち消したのに、帰りの電車でまだ考えている。
五人に話を聞いた。全員、最初の一回では判断できていない。そして四人が、判断を急ぎかけて危ないところだったと言った。
二回目のほうが、情報量が多かった
田町の、路地裏にある小さな定食屋。昼を過ぎて客がいなくなった時間で、厨房から換気扇の音がする。りょうさん、三十歳、会社員。彼は最初、少し照れながら話した。
同じ部署の人でした。俺が二日休んだ翌日に、いないとなんだか寂しいです、って笑顔で言われて。
その場は、いやいや、みたいな返しをしました。社交辞令だと思ったので。
ただ、正直、その日ずっと考えてました。仕事しながら、あれどういう意味だろう、って。三十過ぎた男が。
一回目は流していい
俺、あの一回だけだったら、たぶん何もしてないです。というか、してはいけないと思ってる。
会社ですから。あの言葉、業務の話としても成立するので。あなたがいないと業務が回らない、という意味でも言えるじゃないですか。それを好意だと決めつけて動いたら、こっちが完全に加害者になる。
変わったのは二ヶ月後です。二人で残業してるときに、本当にいないと調子が狂うんですよ、って。今度は真剣な顔で。
一回目とは別物でした。
彼はここを詳しく説明した。
一回目は、みんながいる場所で、明るい調子で。二回目は、二人のときに、言い直してる。しかも、一回目より言葉が強くなってる。
同じことを言い直す人って、前回が伝わってないと思ってるからそうするんですよね。伝わらないと困る、と思ってる時点で、業務の話じゃないです。
その後、仕事以外の話をするようになったという。
判定は、言われた瞬間にはできない
五人の話に共通していたのは、最初の一回では何もわからない、という点だった。
言葉そのものからは読み取れない。表情も声のトーンも、聞く側の期待でいくらでも解釈が変わる。しかも、言った本人が自分の気持ちを測れていないことがある。
差が出るのは、言った後だ。本気の人は、その一言のあとに接触の頻度が上がる。話しかける回数、質問の回数、近くにいる時間。言いっぱなしにならない。
社交辞令の人は、言って終わる。翌日から何も変わらない。
つまり、二週間ほど何もしないでいれば、勝手に答えが出る。
異動の日に言われて、受け流した
けんさん、三十四歳。彼の場合は、別れ際だった。
異動が決まって、それを聞いた後輩が、先輩がいなくなると寂しいです、って。困ったような笑い方をしてました。
俺、完全に受け流しました。そういう場面って何回もあるので。送別の挨拶みたいなものだろう、と。
用がなくなっても、連絡が続いた
違ったのは、異動した後です。
普通、部署が変わると連絡って途切れるんですよ。用がないので。それが途切れなかった。
最初は引き継ぎの話でした。それが終わっても続いた。週に二、三回、なんでもない連絡が来る。
一ヶ月くらいして、今度ご飯でも、って誘われました。
彼はここで少し笑った。
正直、そのときも半信半疑でしたよ。後輩が先輩に気を遣ってるだけかもしれないので。
ただ、用がなくなっても続く連絡って、それ自体が答えなんですよね。会社って、用がないと会話が発生しない場所なので。用のない連絡が来る時点で、その人は何かを維持しようとしてる。
交際に至ったという。職場では距離を保って、外で少しずつ、と。
同じ台詞を、別の男性社員にも言っていた
ここまではうまくいった話だ。そうでない場合もある。
しゅうさん、二十八歳。彼は立場が上の女性から言われた。
あなたがいない日はなんだか寂しいわね、って言われて。俺、その日ずっと浮ついてました。
仕事をすごく頑張ってた時期だったんです。認められたい気持ちも強くて。だから、特別に見てもらえてる、と思い込みました。
廊下で、同じ台詞を聞いた
二週間後です。廊下を歩いてたら、その人が別の男性社員に、同じことを言ってるのが聞こえて。
言い回しまで一緒でした。あなたがいない日はなんだか寂しいわね、って。
あれはこたえましたね。
彼はここで少し早口になった。
冷静に考えれば、あの人は誰にでもそう言う人だったんですよ。部下を乗せるのがうまい上司なので。褒め言葉のバリエーションの一つとして持ってただけで。
でも、当時の俺は判定材料を持ってなかった。一回言われただけで、他の情報がないので。
何も起きていないのに、落ち込んだ
いちばん情けなかったのは、フラれたわけでもないことです。
何も起きてないんですよ。告白もしてないし、断られてもいない。俺が勝手に期待して、勝手に落ちただけ。
それが恥ずかしくて、しばらくその人との会話を最小限にしました。向こうは何も気づいてないと思います。今も。
彼はこう続けた。
その後、同じことを言われても、二週間は判断しないようにしてます。二週間何も変わらなかったら、それは社交辞令なので。
職場の言葉は、二つの意味が同じ形をしている
しゅうさんの話は、職場特有の難しさを含んでいる。
会社で人が評価されるとき、労働力としての評価と、個人への好意が同じ言葉に入る。いないと困る、いないと寂しい。この二つは、業務の話としても好意の話としても成立してしまう。
言う側にとっては便利だ。どちらの意味にも逃げられる。あとから、仕事の話ですよ、と言える。
言われる側は、その二重性を一人で処理することになる。しかも男性の場合、間違えたときの損失が違う。勘違いして動いて外したら、恥ずかしいだけでは済まないことがある。相手を不快にさせる可能性が常にある。
だから慎重になる。慎重になっているうちに、本気だった側が引いていくこともある。
半分本気です、と返ってきた
たいちさん、二十六歳。彼の場合は、軽い言い方だった。
隣の席の人でした。俺が席を外して戻ってきたときに、いないと寂しいですよ、って。周りに人がいたので、完全に冗談のノリで。
その場は笑って終わりました。
ただ、そこから彼女が仕事の相談を理由に近づいてくることが増えて。相談というほどの内容じゃないんですよ。これどう思いますか、みたいな軽いやつで。
直接聞いた
一ヶ月くらいして、聞いたんです。あれ、本気で言ってるの、って。
そしたら、照れながら、半分本気です、って。
彼は笑った。
半分ってなんだよ、と思いましたけど、あの答えが正直だったんだと思います。全部本気だと言うのも嘘だし、冗談だと言うのも嘘だから、半分と言った。
たぶん、本人も自分の気持ちがどのくらいか測りかねてたんでしょうね。
そこからランチに行くようになり、自然に関係が始まったという。
聞き方には気をつけた
聞くの、迷わなかったですかと尋ねると、彼は首を振った。
めちゃくちゃ迷いました。聞き方も考えました。
責めてる感じにならないように、あと、断りやすいように。冗談だよ、で終われる余地を残しておかないと、相手が答えられなくなるので。
これができたのは、席が隣で、普段から軽口を言い合える関係だったからです。上の立場の人相手だったら、絶対に聞いてないです。
辞めることが決まってから、本音が出た
たかしさん、三十三歳。退職前に言われたケースだ。
先輩の女性から、あなたが辞めたら本当に寂しい、また会えますか、って言われました。真面目な顔で。
俺は、まあ挨拶だろうな、と思ってました。辞める人にはそう言うものなので。
職場を出た人には、言えることが増える
違ったのは、その後も個人的に連絡が続いたことです。
辞めてから二ヶ月くらいして、元の職場の近くで会うことになって。そこで、仕事以外でも話したかった、って言われました。
彼は少し考えるように話した。
たぶん、俺が辞めるまでは言えなかったんだと思います。
同じ職場だと、断られた後のことを考えないといけないので。しかも向こうは先輩なので、立場もある。俺が辞めた時点で、それが全部なくなった。
俺が辞めることが決まった日に、あの言葉が出たのも、そういうことだったのかもしれません。終わりが見えてたから、少しだけ出せた。
交際が始まったという。
待つことが、いちばん安全な手だった
五人の話を並べていて、はっきりしたことがある。
判断材料は、その一言の中にはない。りょうさんは二回目の言い方で気づき、けんさんは異動後の連絡の継続で気づいた。しゅうさんは、材料が揃う前に期待して落ちている。
有効だったのは、二週間ほど何もせずに様子を見ることと、その人が他の人にどう接しているかを見ることだった。しゅうさんの場合も、二週間で答えは出ている。出方が最悪だったというだけで。
そしてもう一つ。五人とも、自分から動くのを遅らせている。職場という場所で男性側が動くリスクを、全員が計算していた。たいちさんだけが直接聞いているが、彼も聞き方をかなり考えていた。
しゅうさんに、最後にひとつ聞いた。あのとき浮ついていた自分を、いまどう思うか。
情けないです、と即答した後、彼は少し言い直した。
ただ、あの時期、俺は本当に必死だったんですよ。残業も多かったし、成果も出てなくて、認められたくてしょうがなかった。
そこに、いないと寂しい、って言われたら、そりゃ効きます。あれ、恋愛の話じゃなくて、たぶん、誰かに見ていてほしかったんです。
彼は箸置きを指で動かしながら続けた。
だから、あの人が悪いわけでもないんですよね。あの人は感じよく言っただけで。俺が、そこに置きたかったものを勝手に置いた。
いまはもう平気です、と彼は言った。そう言ってから、少しの間、何も足さなかった。換気扇の音だけが残っていた。