裏アカがバレないか、心のどこかでいつも怯えている。裏アカがバレたとき、本当に壊れるのは、隠していた秘密そのものではないんです。今回、裏アカを持っていた人と、それを見つけてしまった人に、話を聞きました。
最初に会ったトモヤさんは、28歳の会社員です。恋人に裏アカがバレて、一度は関係が壊れかけた経験を持っています。カフェで向き合うと、彼は少しばつが悪そうに切り出しました。
「裏アカって、やましいことのためだけに作るもんだと思われがちなんですけど。僕の場合は、ちょっと違ったんです」
なぜ人は、裏アカを作るのか
表では言えない本音の、逃し場所だった
トモヤさんの裏アカには、仕事の愚痴や、趣味の投稿が並んでいたといいます。
「本アカは、会社の人とも友達ともつながってるから、いい顔しかできないんですよ。真面目な投稿ばっかり。でも、本音はそこに書けない。上司への不満とか、しんどいとか、そういうのを吐き出す場所が、どこにも無くて」
それで、誰ともつながっていない裏アカを作った、と。
「そう。本アカの自分が、よそ行きの服を着た自分だとしたら、裏アカは、家でだらっとしてる自分っていうか。どっちも本当の自分なんですけど、表では出せない部分を、こっそり置いておく場所が欲しかったんです」
ただ、彼の裏アカには、過去に少しだけ女性とやり取りした履歴も残っていた。そこが、後で問題になります。
誰の心にも、裏アカ的なものはある
トモヤさんの話を聞いていて、思ったことがあります。裏アカというのは、SNSの機能の話に見えて、本当は人間の心の構造の話なんだ、と。
人は誰でも、表で見せる顔と、見せられない顔を持っています。パートナーに見せる自分、職場で見せる自分、その裏に、愚痴も、欲も、ちょっと醜い部分もある、もう一人の自分がいる。裏アカは、その抑えこんでいる自分を吐き出すための、格納庫みたいなものなんです。
だから、裏アカを持つ人が、特別に不誠実というわけではありません。抑えきれない本音の逃し場を、たまたまSNSという形で持っただけ。問題は、裏アカがあるかないかではなく、表の顔と裏の顔の落差がどれだけ大きいか、そしてその裏が、相手を裏切る種類のものなのか、ただの発散なのか、という中身のほうです。裏アカを持っていない人も、心の中には、見せていない自分を抱えている。可視化されているかどうかが違うだけで。
そして、裏アカは必ずバレる
通知、共通の知り合い、ふとした検索
裏アカを持つ人が見落としがちなのが、それは思っているより簡単にバレる、ということです。体験談を集めると、バレ方には共通のパターンがありました。
ロック画面に出た通知を、たまたま相手が見てしまう。共通の知り合い経由で、スクリーンショットが回ってくる。同じハッシュタグを検索していて、偶然たどり着く。トモヤさんの場合は、共通の知り合いからスクショが回ったそうです。
「匿名のつもりだったんですよ。アカウント名も別にして。でも、投稿の端々から、これお前だろって特定されて。匿名って、案外、近い人にはバレるんです。書きぶりとか、写真の背景とか、生活圏が同じ人には、ヒントが多すぎて」
完全に身元を隠しきるのは、思っている以上に難しい。秘密は、いつか漏れる前提で考えたほうがいい、というのが、バレた人たちの共通の実感でした。
秘密を持つこと自体が、ずっと自分を削っていた
もう一つ、別の角度から裏アカを語ってくれたのが、アヤカさんです。社会人になりたての女性で、大学時代、本音の愚痴を投稿していた裏アカが友人にバレた経験があります。
「気軽に吐き出せる場のつもりだったんです。でも、誰でも見られるってことを、忘れてました。共通のタグから友人に見つかって、本当はそう思ってたんだ、って問い詰められて。何人かは、距離を置くようになりました」
彼女が振り返って言ったのは、バレる前から、ずっとしんどかった、ということでした。
「バレてないときも、心の片隅で、バレたらどうしようって、ずっと怯えてたんですよ。秘密を持つって、それだけで、じわじわ自分を削るんです。逃し場を作ったはずなのに、その逃し場の存在が、新しいストレスになる。今思うと、本末転倒でした」
秘密は、持っているだけで、持ち主に小さな緊張を強い続ける。裏アカは、心を軽くするための場所のはずが、いつバレるかという別の重荷を、こっそり背負わせていたんです。
バレた側が本当に失うもの
中身よりも、私が知ってる人じゃなかったこと
ここまで、裏アカを持つ側の話でした。では、それを見つけてしまった側は、何を感じるのか。ミサキさんに話を聞きました。交際相手の裏アカを、偶然見てしまった女性です。
「彼のスマホの通知が気になって、つい見ちゃったんです。そこから裏アカにたどり着いて。本アカでは真面目な投稿ばかりの人が、裏では愚痴とか、女性とのやり取りとかをしてて」
ショックだったのは、その中身ですか。私がそう聞くと、彼女は少し首をかしげました。
「もちろん、女性とのやり取りは嫌でしたよ。でも、いちばんこたえたのは、そこじゃなくて。私が知ってる彼は、いったい誰だったんだろう、って思っちゃったことなんです」
彼女は、言葉を選びながら続けました。
「私が見てた彼は、彼が私に見せてた、編集済みの顔だったのかもしれない。本当の本音は、私の知らない場所にあって。私、作られた姿のほうに、恋してたのかな、って。中身が大したことなくても、別の顔があったってこと自体が、彼っていう人の輪郭を、ぐらぐらにしたんです」
この笑顔の裏にも、別の顔があるのでは
裏アカがバレたとき、見た側が本当に失うのは、この人の本物を見ていた、という確信です。これまで信じていた相手が、急に、二人いるように見えてくる。表の顔と、裏の顔。どちらが本物なのか、わからなくなる。
そして、いちばん厄介なのは、その後遺症だとミサキさんは言いました。
「あれ以来、彼が私の前で笑ってても、ふと思っちゃうんです。この笑顔の裏にも、また別の顔があるんじゃないか、って。一度、裏側を見ちゃうと、表の顔を、もう額面どおりに受け取れなくなる。それが、いちばんつらいです」
裏アカの中身そのものより、相手にもう一つの顔があったという事実が、相手という存在の同一性を揺るがす。見てしまった人は、もう元の目で相手を見られなくなる。これが、裏アカがバレることの、本当の破壊力でした。
表と裏の落差と、どう向き合うか
三人の話を並べて、見えてきたことがあります。裏アカ問題の根っこにあるのは、人には複数の顔があって、それを完全には一つにまとめられない、という、人間の根本的な事実です。
表の顔も、裏の顔も、どちらも嘘ではなく、本当の自分です。問題は、裏アカをなくすことではありません。それは、たぶん無理なんです。抑えこんだ本音の逃し場は、SNSを消しても、形を変えてどこかに必要になる。完全に裏のない人間なんて、いないからです。
問われるのは、隠すことそのものではなく、隠していた自分を、いざ見られたときに、それも自分だと引き受けられるかどうか。そして、見た側が、相手の裏を、関係を裏切る種類のものと、ただの人間的な多面性とに、見分けられるかどうか。トモヤさんの愚痴アカウントと、もし誰かと深い関係を持つための裏アカがあったとしたら、それは、まったく別の話です。前者は、あなたにもそういう面があるんだね、と受け入れられる余地がある。後者は、向き合って清算しなければいけない。
トモヤさんは、恋人と何度も話し合い、半年かけて関係を立て直したそうです。
「結局、裏アカを消したから解決したんじゃないんです」彼は最後に言いました。「裏で吐き出してた本音を、少しずつ、彼女の前でも言えるようになったから、裏アカがいらなくなった。隠す自分が減ったぶん、心が軽くなったんですよ。バレる恐怖って、結局、隠し事そのものが生んでたんだなって」
すべてをパートナーに見せる必要は、たぶんありません。誰の中にも、見せない部屋があっていい。ただ、その部屋の落差が、いつか自分を苦しめるほど大きくなっているなら、それは、隠し方を工夫する話ではなく、表の自分を少しずつ本音に近づけていく話なのだと思います。裏アカがいらなくなるのは、バレなくなったときではなく、隠す必要が消えたときなのだと、トモヤさんの顔が語っていました。