俺のどこが好き、と聞かれて、何も出てこなかった。優しいところ、と答えるのは嘘ではないけれど、それが理由なら他の人でもいいことになる。答えられない自分は、本当は好きじゃないのかもしれない。八人に会った。説明できないまま続いた人と、説明できないまま冷めた人の両方に話を聞いた。分かれ目は、言葉が出るかどうかではなかった。
木曜の夜、繁華街の裏手にある小さな居酒屋。カウンターの向こうで大根を炊く匂いがしていて、有線の音楽が控えめに流れている。沙織さんは席に着くとすぐ、あの質問されたときのこと、いまだに思い出すと少し嫌な気持ちになるんです、と言った。
答えられなかった夜
俺のどこが好き、と聞かれた
沙織さん、仮名、当時二十七歳。付き合って一年ほどの相手からだった。
寝る前でした。ベッドで、急に、俺のどこが好きなの、って。
何と答えたのか。
一緒にいたい、しか出てこなかったんです。あと、頭から離れない。それだけ。
相手の反応は。
ちょっと寂しそうな顔をしてました。何も言わなかったですけど、あの顔は忘れられないです。
あとからノートに書いた三つ
その夜のことが気になって、彼女は後日、書き出してみたという。
声のトーンが落ち着く、って書きました。あと、笑うタイミングが心地いい。それと、沈黙が怖くない。
三つとも、相手の条件ではなかった。
私が、その人といるときにどうなってるか、なんですよ。肩の力が抜けてる。それだけです。年収とか顔とか、一個も出てこなかった。
友人に話したら、それ好きでしょ、と言われたという。
私は、好きっていうより、合うに近い気がしてたんです。合うが静かに積もって、気づいたら恋になってた。順番がそっちだった。
タイプが毎回違う人たち
好きなタイプがわからないと答える女性が六割近くに上る調査がある。取材でも、そういう人が複数いた。
今まで好きになった人に、共通点がまったくないんです、と三十代の女性が言った。
顔も、体型も、職業も、性格もバラバラ。唯一あるとしたら、話してみて気が合ったこと。それだけです。
彼女は自分の落ち方をこう説明した。
直感で合った人が、そのまま好きな人になるので、言葉にできないんですよ。理由が先にない。
顔がタイプではない相手を好きになった人の言葉も聞いた。
何がいいのって聞かれると答えられないです。でも、いつもその人のこと考えてる。
見た目で落ちる恋は理由が言いやすい。感じ方で落ちる恋ほど、説明が追いつかない。頭より先に心が反応している、という言い方をした人が二人いた。
説明できないときの、判断材料
相手の属性ではなく、自分の変化を見る
取材で繰り返し出てきた確認方法がある。全部、相手ではなく自分についての質問だった。
会っていないときに、会いたいと思うか。相手が大変そうなときに、自分のことみたいに心配になるか。一緒にいるとき、いい自分を演じていないか。会ったあとに、疲れ切っていないか。この人と付き合ったらどうなるかを、自然に想像したことがあるか。
沙織さんはこの中の一つを強調した。
演じてるかどうかが、一番わかりやすいと思います。私、前の人と会うときは毎回、前日から服を考えてました。今の人には、部屋着に近い格好で行きます。
演じて疲れる好きと、そうでない好き
演じて疲れる好きは、寂しさを埋めるための好きに近い、と話した人がいた。
会ったあとにぐったりするんですよ。楽しかったのに疲れてる。あれ、好きじゃなくて緊張なんだと思います。
過去に激しい恋で消耗した人ほど、ドキドキより楽なほうを選ぶようになる、という話も出た。
形が変わっただけです、と彼女は言った。薄くなったわけじゃない。ただ、燃え方が違う。
わからなくなったあと、冷めた例
思い出せなくなる
一方で、逆の話も聞いた。
ずっと好きだと思ってたんです。でもある日、この人のどこが好きなんだっけって考えたら、何も出てこなかった。
それは沙織さんのケースとどう違うのか、と聞いた。
私の場合は、思い出せなかったんですよ。前はあったのに、消えてた。最初からなかったのとは違います。
付き合ってからイメージと違った、一緒にいて楽しくない、飽きた。冷めた側の理由は、そう並んだ。
言われた側に起きること
好きかわからない、と言われた側の話も聞いた。
そっけない態度と、連絡の間隔で、愛されてる実感が消えていきました。
言葉をほとんど言わない人と二年いた女性の話が、この取材で印象に残っている。
最初は寂しかったです。好きって言われたことが数えるほどしかなくて。
でも、と彼女は続けた。
寒そうにしてたら、翌日カイロが届くんです。疲れたって言ったら、黙って肩を揉む。泣いてたら、理由を聞かずに隣に座る。
彼女の結論は明快だった。
言葉は嘘をつけるけど、行動は嘘をつけないので。私はそっちを信じることにしました。
何でもいいよ、しか言わない人
別の女性は、逆の結論に至った。
彼、私には何でもいいよ、しか言わないんです。ご飯も、行き先も、全部。
半年後に、彼女は気づいた。
友達の前だと、嫌なものは嫌って言うんですよ。私にだけ言わない。
それをどう受け取ったのか。
好きが見えないんじゃなくて、本音を見せてもらえてなかったんです。優しさに見えるんですけど、一人で決めてる恋なんですよね、あれ。
好きの定義が、まだ定まっていない
好きかどうかわからなくなったことがある人は、女性で六割を超える数字もある。
気になっている状態で止まってるだけかもしれないです、と二十代の女性が言った。
好きの定義が、自分の中でまだ決まってないんですよ。だから判定できない。
モヤモヤしたままでいい、という整理をした人もいた。
その過程で、相手のことを考えるようになるので。答えを急ぐ必要がないと思ってます。
もうひとつ、鋭い指摘があった。
悩んでる時点で、好きになっちゃいけないと思ってるだけかもしれないですよ。既婚者とか、職場の人とか、条件的にまずい相手のとき。
禁止が先に立つと、感情の名前が遅れて届く。
頭から離れないなら、それでいい
割り切っている人もいた。
頭から離れないものがあるなら、それが好きです、と三十代の男性は言った。
理由なんて要らないと。
理由もなく惹かれるんですよ。恋ってするものじゃなくて、落ちるものなので。特別な理由もないのに目で追ってて、気がついたら考えてる。もうその時点で好き側にいます。
条件で好きになった相手には、きっかけを語れる。感性で好きになった相手には、きっかけより必然だけが残る、と彼は言った。
説明できないのに納得してる、っていう矛盾が、一番近いと思います。
検索してここまで来た人が、確かめたいこと
説明できない好きは、薄いのか
八人の中で、説明できないまま続いている人が五人いる。薄いと感じているかを聞くと、全員が否定した。むしろ、リストにできる好きのほうが比較されやすい、という指摘が複数あった。
説明できない場合、どう確かめるのか
相手の属性ではなく、自分の変化を見る。会っていないときに会いたいか。演じていないか。会ったあとに疲れていないか。ここに集中していた。
好きかわからない、と相手に言うべきか
言われた側の消耗が大きい、というのが取材の実感だ。二年言葉をもらえなかった女性は、行動で判断することにしたと話した。一方、何でもいいよ、しか言われなかった女性は、そこに本音の不在を見ている。同じ沈黙が、別の意味になっていた。
いつ答えが出るのか
沙織さんはノートに書いた日に一応の答えを得ている。ただし、その三つが今も同じかは確認していないという。
冷めた場合と、どこで見分けるのか
最初から言葉が出ない場合と、前はあったのに思い出せなくなった場合は別だ、と当事者が区別していた。この差は本人にしかわからない。
次の週末の席
沙織さんは、あの相手といま結婚している。
あの夜の質問に、いまなら答えられますか、と聞いてみた。彼女は少し考えて、首を横に振った。
答えられないです。たぶん一生。
聞かれたらどうするんですか。
もう聞かれないんですよ。あれ以来、一度も。
理由を聞いてみた。
わからないです。諦めたのかもしれないし、聞かなくてよくなったのかもしれない。確かめてないです。
彼女はおしぼりを畳んで、カウンターの端に置いた。
ただ、あの夜に詰まったあとも、私は次の週末を空けてたんですよ。そっちが答えなんじゃないかと、いまは思ってます。
大根の炊ける匂いがまだしていた。店主が皿を出して、彼女はそれを見て、あ、これ好きなやつです、と言った。理由は聞かなかった。たぶん答えられなかったと思う。