他の誰も目に入らなくなる状態を、当人は喜んでいない。怖い、と言った五人に、その自覚が来た瞬間だけを聞いた。全員が、告白の場面ではなく、何も起きていない日を挙げた。
聞き取りはばらばらの場所で行った。最初のアユミさんとは、日曜の午前に駅前のパン屋の二階で会った。客が三組しかいなくて、下から焼き上がりのブザーが定期的に聞こえてくる。彼女は席に着いて、いきなり本題から入った。
「電車で他の男の人を見ても、何も感じなくなったんですよ。あれで気づきました」
何も感じなくなった、という気づき方
過去の恋愛が、後から色あせた
二十七歳のアユミさんは、それまでの恋愛を余裕があったと表現する。
「他の人を意識するのも、比べるのも、普通にありました。今の彼と付き合うまでは」
何が変わりました。
「反応が消えたんです。友達がいい人がいるよって紹介してくれても、興味が湧かない。前だったら、とりあえず会ってみるかって思う場面でも」
魅力を感じないということですか。
「そうじゃなくて、判定する機能が止まってる感じです。この人はどうかな、っていう思考自体が起きない」
自覚したのは、ある夜だった。
「彼の隣で、ただ静かに過ごしてただけです。テレビもついてなくて。そのときに、あ、いまはこの人しか愛せないんだ、ってはっきり言葉になって」
嬉しかったですか。
「怖かったです、まず。返信が少し遅いだけで胸がざわつくし、他の女の子と話してるところを想像しただけで息が詰まる。そんな状態、健全じゃないでしょ」
でも。
「でも、清々しくもあったんですよ。初めて一人の人に心を全部渡してる感じがして。過去の恋愛が、後から急に色あせて見えた」
好きが増えたのではなく、選択肢が消えている
五人の話で最初に揃ったのは、この気づき方だった。誰も、相手への好意が増したという言い方をしていない。全員、他が消えたという言い方をする。
二十九歳のユウコさんも同じだ。
「彼といるときの自分が、前と違うんですよ。自然に笑えるし、緊張しない。認められてる感じがある」
それで他の人との時間は。
「義務っぽくなりました。行けば楽しいんですけど、行く前が重い。彼との予定だけ、入ると一日中気分が上がる」
自覚した瞬間は。
「休日です。二人で何もしてないときに、ふっと。いまはこの人しか愛せないんだな、って静かに」
彼女はそこで、少し考えてから付け足した。
「ドラマチックな瞬間じゃないんですよ。誕生日でも記念日でもない。何もない日の隙間で溢れてくる」
過去の恋愛と比べて何が違うかも聞いた。
「前のは好きでした。今のは、愛してるに近い重さがあります。この違い、説明しろって言われると困るんですけど。責任が乗ってる感じ、というか」
独占欲の下から出てきたもの
失いたくないという、SOSに近い形
三十三歳のケントさんの話は、傷の話から始まった。
「前の恋人に裏切られてから、しばらく誰も愛せない時期がありました。二年くらいですかね」
どういう状態でしたか。
「会っても、心が動かないんですよ。良い人だなとは思う。それだけで止まる」
今の相手とは。
「丁寧に時間をかけました。向こうもそういう人で。少しずつ開いていった感じです」
決定的な場面は。
「彼女が体調を崩して、弱ってるときです。強く抱きしめた瞬間に、あ、この人を失いたくないって、体の芯まで来た」
そのとき他の誰かと比較する余裕は。
「なかったです。ただこの人だけを守りたいって、それだけでした」
彼はそのあと、自分の独占欲を分析してみせた。
「あれ、下の方に何があるかというと、離れないでほしいっていうSOSなんですよ。俺の場合は。力で抑え込む方向に行きかけたこともあるんですけど」
行かなかった。
「彼女が、安心する言葉を毎回ちゃんとくれたので。あれがなかったら、たぶん重い方に転がってました」
世界の中心に自分を置きたい、という衝動
三十歳のタケルさんは、もう少し露骨な言い方をした。
彼女と付き合って数ヶ月。最初は普通の恋だと思っていたという。
「気づいたら、仕事中も趣味の時間も、全部が彼女中心に回ってました。他の女性から連絡が来ても、丁寧に返すだけで心が動かない。前なら、ちょっと話してみるかって思うような相手でも、ただの他人にしか見えなくなって」
決定的だったのは。
「彼女が他の男と楽しそうに話してるのを見たときです。ぐわっと来ました」
何を思いました。
「俺じゃないと無理って思わせたい、って。あの人の世界の中心に自分がいる状態にしたい、っていう衝動が自然に湧いて」
言い方によっては危ういですね。
「わかってます。だから、縛らないようにはしてるんです。制限するんじゃなくて、安心とドキドキをこっちで満たして、結果的に他が目に入らなくなってる状態を作る方向で」
それは操作では、と聞いた。彼は数秒黙った。
「そう言われると、否定しきれないです。ただ、本気で好きだからこそ出てくる気持ちではあるんですよ。重くて、純粋で、扱いを間違えると最悪になるやつ」
ここが、この感情のいちばん厄介な部分だと思う。相手を独り占めしたいという欲求は、それ自体では善悪が決まらない。どう処理するかで、安心を作る行動にも、行動を制限する束縛にも化ける。同じ源から両方が出る。
名前のない関係で、この感情を持った人
二十六歳のミサキさんの立場だけ、他の四人と違っていた。
「正式に付き合ってなかったんです。ずっと」
その状態で。
「心は完全に傾いてました。名前も立場もない関係なのに、好きになればなるほど、他の人に渡したくなくなる」
具体的にはどんな感じですか。
「彼の笑い方も、声も、全部、誰にも向けてほしくない。そう思っちゃう。でも私、それを言う資格がないんですよ」
苦しかったですか。
「軽い気持ちならここまで苦しくならないです。不安になるのも、嫉妬するのも、結局は本気の気持ちに行き場がなかっただけで」
どうしたんですか。
「なかったことにはしたくなかったんですよね。だから、心の中で何度も、いまはあなたしか愛せないって繰り返して。あとは、選び続けてる姿勢だけ行動で見せようって決めました」
伝えなかった。
「伝えたら、たぶん逃げられるので。付き合ってなくても、本気の想いだけは嘘じゃないって、自分で信じてるしかなかった」
彼女はそこで一度、窓の外を見た。
「今もその状態か、って聞かれると答えにくいんですけど」
いま、という言葉に全員が引っかかっていた
最後に、五人全員に同じことを聞いた。永遠に愛せる、ではなく、いまは愛せる、という言い方をするのはなぜですか。
アユミさんはこう答えた。
「永遠は約束できないからです。人の気持ちなんて変わるし。でも、いまこの瞬間に全力で一人に向かってるのは、嘘じゃない。だから、いまは、なんです」
ケントさんの答えは違った。
「俺は、いまはって付けとかないと怖いんですよ。永遠って言った瞬間に、それが崩れたときのダメージが確定する。保険です、あれは」
タケルさんは笑った。
「予防線ですね。俺も含めて、みんな一回は裏切られてるんじゃないですか。だから断言できない」
ミサキさんの答えだけ、少し長かった。
「私の場合は、いまは、しか言えないんです。立場がないので。未来の話をする権利がない。だから、いまこの瞬間だけを何度も確認するしかなかった」
彼女はそこで小さく息をついた。
「ただ、これ何年も続いてるんですよ。いまはって言い続けて、もう三年目です。いまが三年続いたら、それはもう、いまじゃないですよね」
答えを持ち合わせていなかったので、私は黙っていた。下の階でブザーが鳴って、パンの焼ける匂いが階段を上がってきた。彼女はそれを嗅いで、少しだけ笑った。