別れて二週間、飲み歩いて自由を満喫していた男が、三ヶ月後に共通の知人へそっと探りを入れる。冷たく切り捨てたはずの男が、一年後に、あの頃は強がってただけだと漏らす。男の方が引きずるという話は経験則としてよく聞くけれど、順番が違う。彼らの未練は別れた瞬間には発生していない。八人に会って、発火する時刻がだいたい特定できた。
深夜23時40分、幹線道路沿いのコインランドリー。乾燥機の中でジッパーが回る金属音と、他人の柔軟剤の甘ったるい匂い。蛍光灯が一本だけ切れかけて点滅していた。ハヤトさんは、洗濯が終わるまでの42分でいいですかと言って、丸椅子に浅く腰かけた。膝の上でスマホを裏返して置く。その動作を、話の途中で三回した。
別れて二週間、彼は本当に身軽だった
六軒はしご、飲み代9万4千円
ハヤトさん、31歳。三年つき合った相手と去年の六月に別れた。
翌週から毎晩でしたね。金曜は六軒はしごして、始発で帰った。二週間の飲み代が9万4千円。カード明細見て笑いました。友達には、もう大丈夫、って言い切ってた。
強がりだったんですか、と聞いた。彼は首を横に振った。
それが違うんですよ。あのときは本気で楽だったんです。誰とも予定を合わせなくていい、飲みの途中で連絡しなくていい、風呂の順番も気にしなくていい。解放感しかなかった。俺、意外と平気なんだなって感心してたくらい。
連絡が来ている間は、まだ手元にある
引っかかったのは、その二週間に相手からの連絡があったかどうかだった。
二回来てました。忘れ物の受け渡しと、あと僕の誕生日。誕生日のやつは既読つけずに三日放置しました。その三日、めちゃくちゃ気分よかったんですよ。今思うと最悪ですけど。
ここで見えてくることがある。彼らは別れた日に手放していない。相手がまだこちらを見ている限り、その関係は棚に置いたままの保留品として残る。返そうと思えば返せる、取りに行こうと思えば行ける。だから軽い。捨てたのではなく、置いた。本人は終わらせたつもりで、実際には終わりを先送りしている。
三ヶ月目、彼女が探すのをやめてから始まった
あの子最近どうしてる、と口が動いた火曜の夜
九月の火曜でした。会社の近くの居酒屋で、共通の知り合いと二人で飲んでて。急に、あの子最近どうしてる、って自分の口が動いた。訊いた声が自分でも驚くくらい高かったんです。裏返ってた。
返事は残酷なほど平凡だったという。
普通に元気だよ、最近ジム行ってるらしいよ、って。それだけ。悪い情報がひとつもないのが、一番きつかった。落ち込んでてほしかったんだと思います。最低ですよね。
一日に九回、閲覧用の別アカウント
そこから見に行くようになりました。足跡が残らないように、フォロー数ゼロのアカウントを作って。多い日で九回です。信号待ちで開いてる。改札を通るのと同じで、指が勝手に動いてた。中毒ってああいうことなんだと思う。
未練は、視線が切れたときに立ち上がる
彼が探り始めたのは、相手からの連絡が完全に途絶えてから三週間ほど後だった。同じ時期のずれが、取材した男性のほとんどに当てはまる。追われている間、人は失っていない。追われなくなった瞬間に、棚から現物が消える。喪失は別れの日ではなく、相手が探すのをやめた日に届く。
冷たく切った男ほど、後になって重くなる
既読無視、二週間後にブロック
アヤさん、28歳。振られた側だ。ファミリーレストランの窓際で、彼女はおしぼりの袋を細く折り続けながら話した。
別れ際、本当に冷たかったんです。話し合いもなし。既読無視が続いて、二週間後にブロックされました。友達は全員、完全に気持ち切れたねって言ってた。私もそう思った。
追わなかったんですか。
追う体力が残ってなかっただけです。三日で4キロ落ちて、会社の休憩室で吐いてた時期だったので。追わない選択ができたんじゃなくて、動けなかった。
十一ヶ月後に本人から聞いた言葉
再会したのは共通の友人の結婚式の三次会。あの頃は強がってただけ、と彼は言ったという。
昔の私だったら泣いて喜んだと思います。でも実際に聞いた瞬間に浮かんだ言葉は、遅い、でした。あんなに欲しかった一言なのに、何も動かないんですよ。心が。感情って賞味期限があるんだなって、そのとき初めて知りました。
彼女が追ってこなかったことが、かえって彼の中で価値を押し上げた。よくある話に聞こえるけれど、当事者にとっては救いにならない。彼の未練が育っていた十一ヶ月、彼女はその材料を使って別の生活を組み立て終えていた。
自分から終わらせた人が、いちばん動けない
相手の欠点を、メモに十四個書いた
ソウタさん、33歳。五年つき合った相手を振った側だ。
別れた三日後に、スマホのメモに書いたんです。あいつのダメだったところ。十四個。約束の時間にいつも十五分遅れるとか、僕の仕事の話を途中で遮るとか。落ち込みそうになったら読み返してた。これで正解だったって自分に言い聞かせるために。
効きましたか。
三週間は効きました。
正当化には燃料がいる
欠点を数え上げる作業は、忙しさとセットでないと回らない。仕事が詰まっていて、飲みの誘いが続いていて、頭が動き続けている間だけ成立する。生活が静かになると燃料が切れる。そして代わりに戻ってくるのは、悪いところでも良いところでもない。
思い出すのは、どうでもいい場面なんですよ。車の助手席でラジオに変な相槌打ってたこととか、コンビニで必ず同じプリン買ってたこととか。ドラマみたいな思い出じゃない。何でもない空気ばっかり戻ってくる。あれには勝てない。欠点リストは何でもない空気には効かないんです。
認めた瞬間、自分の判断がまるごと崩れる
彼が動けない理由は、はっきりしていた。
戻りたいって認めたら、あの決断が全部間違いだったことになるでしょう。五年を自分で終わらせた判断を、自分で否定するのって無理なんですよ。だから何もしない。何もしないまま二年たちました。
新しい出会いが、未練を増やした
三人と会って、比較が始まった
ハヤトさんはアプリで三人に会っている。
二人目の人がすごくいい人だったんです。話も合うし、笑い方も感じがよくて。なのに駅で別れて帰る電車の中で、やっぱりあの子の方がよかったなって強烈に思った。相手には申し訳ないとしか言えない。
比較の中身は具体的だった。歩く速度が違う。店を出るときにドアを押さえる位置が違う。笑い声の高さが違う。
新しい人と会うほど、前の彼女の細かいところが際立つんです。比べる材料が増えるだけだった。忘れるために会ってたのに、逆でした。
上書きができない人たち
女性は上書き保存で、男は名前を付けて保存する。取材の途中、ソウタさんの友人がそう表現したと聞いた。乱暴なたとえだけれど、酔った席で急に元カノの話を始める人の説明にはなる。普段は何とも思ってないと言い切るのに、アルコールが入ると、今どうしてるかな、元気かな、と口が滑る。それでも自分からは連絡しない。冷たく返されたら立ち直れる自信がないからだ。
何年たっても、数年に一度だけ戻ってくる
タカさん、44歳。既婚、子どもが二人。話を聞かせてほしいと頼んだら、妻には言わないでほしいと先に言われた。
27のときに振った子がいます。うまくいかなくて、自分の未熟さが原因で。今も年に一度か二度、来るんです。出張先のホテルで、ベッドに座って靴下を脱いでるときとか。前触れなく、あのときの会話が頭の中で再生される。もっと大事にすればよかったって。
生活は普通に回っているという。ローンも子どもの受験もある。
消えてはいないんですよ。しまってあるだけで。しまってあるものって、たまに勝手に開くんです。
ここまで検索してきた人が、本当に知りたいこと
連絡してこないのは、未練がない証拠なのか
取材の範囲では逆のことが多かった。動かない理由はプライドと恐れで、気持ちの有無とは関係がない。八人のうち、実際に元恋人へ連絡した人は二人。戻ったのは一人で、その関係も三ヶ月で終わっている。
未練が本格化する時期はいつか
二ヶ月半から四ヶ月に集中していた。共通していたのは、相手からの連絡が完全に止まってから三週間前後という条件のほうだ。カレンダーの日付ではなく、相手の視線が切れた日を起点にすると揃う。
生活や数字はどう変わったか
ハヤトさんは三ヶ月で飲み代が月11万を超え、体重が6キロ増えた。ソウタさんは残業を意図的に増やし、月の残業時間が38時間から67時間になっている。アヤさんは引っ越しをして、髪を肩まで切った。前に進めた人ほど、変わった内容を数字で言える。動けなかった人は、その期間の記憶がまるごと薄い。
周囲はどう見ていたか
もう忘れただろ、と言われ続けたと全員が答えた。忘れたことにしておくほうが会話が早く終わる。だから彼らは、忘れた顔の作り方を覚える。周りが完結したと思っている時期に、本人の中ではようやく再生が始まっている。
137文字の下書き
乾燥機が止まって、ブザーが二回鳴った。ハヤトさんは洗濯物をたたまずに袋へ押し込んだ。
最後に一つだけ、と私が言うと、彼は先回りするように、下書きあります、と答えた。
三ヶ月前に書いたやつです。137文字。元気にしてる、から始まって、最後は、返信いらないから、で終わってる。
送るんですか。
送らないです。でも消さない。
理由を聞いた。彼は袋の口を結びながら、消したら本当に終わるので、と言った。終わっていないものを終わらせないために、送らないまま持っている。それは未練とも呼べるし、ただの管理不足とも呼べる。私はどちらとも判断できなかった。
彼は自転車のかごに洗濯物を放り込んで、点滅する蛍光灯の下から出ていった。自販機の低い唸りだけが残った。あの137文字は、今も同じ場所にあると思う。確かめる方法はないけれど。