何を着ていけばいいのか悩んでる人が本当に怖がっているのは、布の話ではないと思う。自分の何かが、会話が始まる前に採点され終わってしまうこと。しかもその採点表を、こちらは一生見られないこと。お見合いを合計で百回近く経験した女性たちに会って、服の記憶だけがなぜあんなに濃く残るのかを聞いた。
日曜の午後2時、都心のホテルの一階ラウンジ。天井が高くて音が上に逃げるから、隣の会話は聞こえないのに気配だけが届く。椅子が深く沈んで、座った瞬間に膝から下が視界に入る。照明はほぼ真上。私はコーヒー一杯で三時間ねばって、それらしい組み合わせを七つ数えた。男性は全員スーツだった。例外はひとりもいない。この部屋の温度と光と椅子の高さが、その日の服の見え方を勝手に決めてしまう。会う前から、場所のほうが先に条件を出している。
90分の席で、服が点数を足すことはない
会話は消えるのに、服の記憶だけが残る
最初に会ったのはミオさん、34歳。相談所に入って七ヶ月目に初めてのお見合いをした。
正直、当日の会話をほとんど覚えてないんです。出身どこですかとか、お仕事忙しいですかとか、そういうやりとりをした気はする。でも中身はゼロ。90分がまるごと白い。緊張しすぎて、自分の声が遠くから聞こえてました。
覚えているのは服のことだけだという。三週間かけて七着試着した。決めたのはネイビーの膝下丈のワンピース、2万9千円。ヒールは5.5センチ、バッグはA4が入らない小さめのもの。相談所からはフォーマルが基本だと言われていた。
三日後に仲人さん経由でフィードバックが来て、服装がきちんとされていて好印象でした、って。あれを聞いたとき、嬉しいより先に、ぞっとしました。私、話した内容で何も覚えてもらえてないんだ、って。
服で決まった人はいないが、服で終わった人はいる
仲人歴14年のヨシダさんに、この話をぶつけてみた。年間で四百件近くの見合い報告に目を通してきた人だ。
服が良かったから成婚した、というケースは私は知りません。ただ、服が理由で仮交際に進まなかった報告は、毎年いくつも読みます。
つまり服では上がらない。下がるだけ。歪んだ話に聞こえるけれど、90分で相手が処理できる情報量を考えると納得はする。会って三分で服の情報が入り、そのあと87分かけて会話がその印象を薄めていく。薄める作業に時間を使わせた時点で損をしている。私はここが一番いやだと思った。理不尽なのに、認めるしかない。
隣の席に、同じ目的の他人が座っている
きれいめのつもりが、ひとりだけ休日に見えた
サキさん、36歳。彼女の失敗談はかなり具体的だった。
白のブラウスに、テーパードのパンツ。きれいめではあるんです。普段着よりは確実に上。でも相手の方はネイビーのスーツで、ネクタイまで締めてた。座って三十秒で、あ、まずい、と思いました。
決定的だったのは、その次だという。
斜め向かいの席にも、明らかに同じことをしてる二人がいたんですよ。女性の方が薄いピンクのワンピースで、姿勢もきれいで。視界の端にずっといるんです。90分ずっと。私だけが休日の格好で紛れ込んでる感じがして、途中から声が小さくなった。相手の顔をまっすぐ見られなくなりました。
その日の夜、仮交際なしの返事が届いた。
比べられる相手は、目の前の人ではない
これが今回の取材で一番引っかかった話だ。
初対面の場で、同じ目的の他人が同じ部屋に何組も存在する。合コンでも街コンでもそうはならない。ホテルのラウンジという場所が、比較対象を勝手に持ち込んでくる。相手は意識していなくても、視界には入っている。何度も見合いを重ねている男性なら、過去の相手の格好が積み上がっていて、その平均値と照らされる。
サキさんの言い方が忘れられない。
手を抜いたつもりはなかったんです。でも、抜いてるように見えた。そこの差って、こっちからは絶対に埋められない。
素材の厚みが、勝手に何かを語ってしまう
8月18日、気温35度のラウンジ
リナさん、30歳。夏の見合いで失敗した。
外が35度で、駅から歩くだけで汗だくになる日でした。だから軽い素材のワンピースを選んだんです。涼しげで、色も白に近くて、鏡の前ではすごく良かった。
問題はホテルに着いてからだった。ラウンジの照明はほぼ真上から落ちる。生地が薄すぎて、うっすら透けていることに、座って十分してから気づいた。
相手の方の視線が、なんか泳ぐんですよ。目を合わせようとして、すっと外す。あれが何の意味だったのか今もわからないけど、私は自分の腕を組んで隠してました。90分ずっと。会話どころじゃない。
だらしなさは、素材の話に化ける
彼女が学んだのは色でも形でもなく、生地の厚みだったという。
清潔感って言葉、ふわっとしてるじゃないですか。でも実際は、生地が薄いか厚いか、シワが出るか出ないか、それだけなんですよ。人柄の話じゃなくて、素材の話。だからお店で選ぶときは、鏡じゃなくて明るいところで一回自分の腕にあてるようになりました。地味だけど、これが一番効いた。
ヒールを下げなかった人の結果
身長3センチを削る代わりに失うもの
カホさん、29歳。自分の身長は168センチ、相手は172センチだと事前に聞いていた。
前日まで迷いました。3センチのパンプスなら絶対に抜かない。でもその靴、履くと自分がずんぐりして見えるのがわかってて。7センチの方が脚がきれいに出るし、歩き方も変わる。
選んだのは7センチだった。
理由は単純で、低い靴だと私、猫背になるんです。姿勢が変わると顔つきまで変わる。3センチのために90分ずっと縮こまってる自分を想像したら、無理でした。
自然でいい、という感想
結果は仮交際に進んだ。相手からの言葉は、自然でいいですね、だったという。
たぶん身長なんて見てないんですよ。見てたのは、私が自分の格好に納得してるかどうかだと思う。自信がない靴を履いてると、それが表情に出ます。隠せない。
相手に合わせて自分を削る発想は、その場では礼儀に見えて、90分後には別の何かとして伝わる。ここは全員の話に共通していた。
2着を並べて他人に見せた日
襟の開きが2センチ違うだけで
ユキさん、38歳。彼女は面談で仲人に二着を実際に見せた。ほとんど同じに見えるワンピースを、ハンガーごと持っていったという。
自分では違いがわからなかったんです。どっちもネイビーで、丈も同じ。でも並べたら、襟の開きが2センチくらい違った。Vに開いてる方は少し華やかで、詰まってる方は落ち着いて見える。指摘されて初めて、あ、印象って首から上で決まるんだと理解しました。
靴とバッグまで一度に見てもらう
その日は靴とバッグも一緒に持参した。
バッグだけ黒で、靴は茶色だったんです。単体だと気にならないのに、全部並べると急にちぐはぐで。そこを直しただけで、写真に撮ったとき全然違った。仮交際に進めたのがその回です。服の力なのか、私が落ち着いてたからなのかは、正直わからないですけど。
自分の目は自分の服に慣れすぎている。他人の目を一回通すという作業に、この人は三十分しか使っていない。費用対効果でいえば、七着試着するより効いていたかもしれない。
仕事着のまま行って、うまくいった例外
可愛くないですが、と先に言った
ナオさん、32歳。平日の19時、仕事終わりにそのまま向かった。
着替える時間がなかったんです。だから待ち合わせの前に、今日は仕事帰りで可愛くない格好ですが、って一言だけ送りました。
相手はまったく気にしなかったという。むしろ、仕事を頑張っている感じが伝わりました、と言われた。
例外が通る条件
ただ、本人の総括は醒めている。
たまたま相手がそういう人だっただけだと思います。次からは無理してでも着替えます。あの一言を送るのだって、けっこう賭けだったので。
先に断りを入れたから成立した。何も言わずに仕事着で座っていたら、サキさんと同じ結果になっていた可能性が高い。私はそう思っている。
相手は、写真の続きに会いに来ている
別人が座った瞬間に起きること
アヤノさん、35歳。彼女が意識したのはプロフィール写真との連続性だった。
写真を撮ったとき、上品めの服にナチュラルメイクだったんです。だから当日もそこに寄せました。奇抜なことは一切しない。
当日、写真と変わらないですね、と言われて安心したという。
あれ、褒め言葉じゃないと思ってます。安心しました、に近い。相手はもう写真の私に会うつもりで来てるので、そこから外れると、話が違うって感情が先に立つ。服が似合ってるかどうかより、同じ人に見えるかどうかの方が先なんですよ。
だから冒険は二回目以降になる
初回で個性を出したい気持ちは、全員が持っていた。それでも出さない。判断材料が写真しかない相手の頭のなかでは、その日のこちらは第二話でしかない。第一話とつながっていない第二話を、人は面白がらない。
検索してここまで来た人が、実際に知りたいこと
色とデザインの選択肢はどこまであるか
七人が初回に着ていたのは、ネイビーが四人、ベージュ系が二人、淡いピンクが一人。全員ワンピースか、それに近い形だった。柄物はゼロ。この偏り方は私も予想以上だった。
いくらかかったのか
ミオさんはワンピース2万9千円に靴とバッグを足して合計6万2千円。ユキさんは手持ちを組み替えたので追加出費は8千円。金額の差が結果の差になっていた形跡は、話を聞いた範囲では見当たらなかった。
二回目以降はどうするのか
回数を重ねると変わるという声が多かった。サキさんは22回のお見合いを経験して、五回目あたりから服で悩む時間が三週間から40分に減ったと言う。悩まなくなった理由は、正解を見つけたからではなく、悩んでも結果が変わらないと知ったからだそうだ。
家族や友人はどう言ったか
母親に見せたら地味だと言われた人が三人いた。全員、地味なほうを着ていった。母親の世代の華やかさと、今の見合いの場で求められている静かさが、うまく噛み合っていない。この食い違いも印象に残った。
11回着たワンピースの話
サキさんは今、あのブラウスとパンツを着ていない。あの日のあと買ったネイビーのワンピースを、22回のうち11回着ている。クリーニングに出した回数は6回。
もう制服なんですよ、と彼女は言った。
これを着てる自分が、本当の自分なのかわからなくなる時があります。無難で、清潔で、誰にも減点されない格好。減点はされないけど、加点もされない。そのまま二年経ちました。
じゃあ脱ぐんですか、と聞いてみた。彼女はしばらく黙って、カップの縁を親指でなぞった。
脱げないです。だってこれを着てなかった一回で、私、落ちてるので。
ラウンジの奥で、また新しい一組が席に着いた。男性はスーツ、女性は淡い色のワンピース。サキさんはそっちを一度だけ見て、視線を戻した。何も言わなかった。私も聞かなかった。