説明できない出会いというものが、確かにある。
偶然にしては出来過ぎていて、でも運命と呼ぶには照れくさくて、かといって「たまたま」で片付けるには何かが引っかかる。あの人と出会っていなければ、今の自分はなかったそう思える相手が一人でもいる人は、縁という言葉の重さを、体で知っている。
男女の縁は、恋愛や結婚の枠に収まらない。好きになったわけじゃないのに忘れられない人がいる。別れたはずなのに、何年か経ってまた繋がる。最悪の別れ方をしたのに、その人のことだけは憎めない。理屈では説明のつかないその感触を、縁と呼ぶしかないことがある。
取材は、晩秋の神保町から始まった
古書店が軒を連ねる通りを歩くと、紙の匂いがする。夜の神保町は昼より静かで、人が減った分だけ、街の奥行きが増す気がする。路地を一本入った先の、階段を地下に降りるジャズバー。革張りの椅子が古び、照明が低い。
最初に話を聞いた岸本さん(仮名・38歳・建築士)は、バーボンのグラスを回しながら座っていた。こちらが向かいに腰を落ろすと、少し目を細めた。疲れているのか、考え込んでいるのか、判断がつかない顔だった。
「縁の話、ですよね」
確認してから、グラスを置いた。
「俺、この話を人にするの、初めてかもしれない。話すと、絶対に変な人だと思われる気がして。でも10年間、ずっと引っかかってることで」
「あの人と出会ったのは、偶然じゃない気がする」縁を感じた瞬間の話
岸本さんが「縁」という言葉を本気で考えるようになったのは、35歳のときだった。
「大学時代に、同じゼミに石川という女性がいた。特別に仲がよかったわけじゃない。でも、なんか印象に残る子で。卒業してから完全に連絡が途絶えて、10年以上、一度も会っていなかった」
「35歳のとき、出張で福岡に行って。仕事終わりに一人で入った居酒屋で隣に座ってたのが、その石川さんだった」
少し間があった。
「福岡に、彼女の縁もゆかりもない。俺もそこに行く予定は直前まで別の店を考えてた。それが、同じ夜に、同じカウンターの隣の席にいた。確率的に、ありえない話じゃないですか。でも起きた」
「声をかけるまで、5分くらいかかった。本人かどうか確信が持てなくて。で、声をかけたら——向こうも俺のことを覚えてて。二人とも、しばらく言葉が出なかった」
そのとき、何を感じたか。
「怖かった。正直に言うと、嬉しいより怖かった。こんなことが起きる、という事実が、世界の仕組みに対する自分の理解を超えてきた感じがして。あの夜から、縁という言葉を冗談で使えなくなった」
「縁とは、記憶の共鳴である」
この取材を重ねる中で、ひとつの視点が浮かんできた。
縁という言葉は、運命やスピリチュアルな文脈で語られることが多い。でも取材した全員の話を聞くと、縁を感じる瞬間には共通した構造がある気がした。
それは、記憶の共鳴だ。
人は誰かと出会うとき、その出会いを過去の記憶のどこかに照らし合わせている。この感触は知っている、この空気を前に感じたことがある——という感覚が、初対面なのに懐かしい、という矛盾した印象を生む。
縁がある、と感じる相手というのは、自分の記憶の中にある何かと、その人が共鳴している相手なのかもしれない。共鳴の理由は、自分でもわからないことが多い。過去のどの記憶と繋がっているのか、言語化できないことも多い。でも体が知っている。初めて会った気がしない、この人とは長い、という感覚が、理屈より先に来る。
岸本さんが福岡の居酒屋で石川さんを見つけた瞬間、5分間声をかけられなかった理由は、その共鳴があまりに強くて、現実として処理する時間が必要だったからかもしれない。
縁を「運命だ」と言う人と「偶然だ」と言う人は、同じ体験をしていても解釈が違う。でも、どちらの解釈をしたとしてもその瞬間に体が感じたものは、同じだ。
切れない縁—何度も繋がり直した男女の証言
次に話を聞いた今井さん(仮名・34歳・フリーランスライター)は、同じ男性と10年間で3度、別れと再会を繰り返した。
待ち合わせた吉祥寺の喫茶店で、向かいに座ると開口一番、「この話、整理できてないので、散らかった話になると思います」と言った。そういう前置きをする人の話のほうが、たいてい本質が混じっている。
「最初に付き合ったのが24歳のとき。1年半で別れた。理由は、お互い方向性が違ってきた、という感じで。気まずい別れじゃなかったけど、もう会わないだろうと思ってた」
「27歳のとき、共通の友人の結婚式で再会した。式の後の二次会で少し話して、また連絡するようになって、また付き合い始めた。それが2年続いて、また終わった。今度は少し、痛い終わり方だった」
「30歳のとき、SNSで向こうから連絡が来た。特に用はない、ただ元気かと思って、みたいな内容で。無視しようかと思った。でもなぜか返信した。そこから半年かけてまた距離が縮まって、また付き合い始めた」
「今は、付き合ってない。3度目も2年で終わった。でも嫌いになったわけじゃない。むしろ、3回経験して、この人のことは一番わかってる。なのに一緒にいられない。その矛盾が、縁というものの不思議さだと思う」
今井さんは、コーヒーカップを両手で包んだ。
「縁がある、というのが、幸せに繋がるとは限らない。むしろ、縁がある人と一緒にいられないことのほうが、長引く。諦めたつもりで諦められない。それが一番、縁を感じる形かもしれない」
「縁がなかった」と気づいた話——終わりが教えてくれること
縁の不思議を語るとき、縁があった話だけでは片面しか見えない。縁がなかったと気づいた経験もまた、縁というものの輪郭を教えてくれる。
大阪在住の村田さん(仮名・36歳・会社員)は、3年間本気で好きだった女性との話を語ってくれた。Zoomで繋ぐと、部屋が暗かった。照明を変えようとしてくれたが、「このままでいいです」と言ったら、少し安心したように見えた。
「その人のことは、本気で運命だと思ってた。出会い方が特殊で、仕事でたまたま組んだチームで、最初の打ち合わせで話した瞬間から、あ、この人だ、って感じた。根拠がない確信で、でも揺るがなかった」
「3年間、片思いした。告白もした。断られた。それでも気持ちが消えなくて、また告白した。また断られた。それでも縁があると信じてた。いつか、と思ってた」
「変わったのは、その人が結婚した、と聞いたときじゃなかった。その報告を聞いて、俺が感じたのが、悲しみより安堵だった、と気づいたとき。ああ、終わったんだ、という安堵。長い間、縁があると信じ続けることに、エネルギーを使い切ってたんだと、そのとき初めてわかった」
「縁がある、という確信は、本物だったと思う。でも縁があることと、その人と一緒になることは別だった。俺が信じてた縁は、もしかしたら、その人との縁じゃなくて、その人を通じて自分の何かと向き合うための縁だったのかもしれない。そう解釈するしかなかった、というのが正直なところだけど」
縁を「引き寄せた」のか「気づいた」のか——それぞれの解釈
福岡在住の橋口さん(仮名・41歳・デザイナー)は、縁という概念を長年かけて自分なりに定義してきた人だった。
電話で話してくれた声は、落ち着いていた。質問に答えるとき、必ず少し間を置いてから話し始めた。
「縁を引き寄せる、という言い方があるじゃないですか。自分の意識が変わると、出会う人が変わる、みたいな。それは半分本当だと思う。でも半分だけ、とも思う」
「どういうことかというと——縁は引き寄せるものじゃなくて、気づくものだと思うんですよ。引き寄せてる、と思ってる人は、実は常にあちこちに散らばってる縁の糸を、拾えるようになっただけで。糸は最初からあった。でも気づいてなかった。あるいは気づいても、無視してた」
「俺の場合、30歳のときに離婚して、1年くらい人と会いたくなかった。でも1年が経つころ、なんか開いてきた感じがして。そこから知り合う人が、がらっと変わった。今の妻もその頃に会った。もし離婚してなかったら、その場所にいなかった。出会えてなかった」
「縁は、人生の痛みの後に見えてくることが多い気がする。傷ついて、削れて、余計なものが落ちてから、初めて見える糸がある。だから縁を引き寄せようとするより、何かを失う経験を正直に生きることのほうが、縁に近づく気がして」
縁の不思議を理屈で説明しようとして、失敗した話
岸本さんが、福岡で再会した石川さんとその後どうなったかを聞いた。
「その夜、2時間くらい話して、連絡先を交換して別れた。俺の中では、あの再会には何か意味がある、という確信があって。だから次の日、長いLINEを送ったんですよ。あの偶然の意味を、俺なりに解釈して、運命的な出会いだと思う、みたいなことを書いて」
少し苦笑した。
「返信は来た。でもトーンが明らかに引いてた。そりゃそうですよね。相手からしたら、10年ぶりに偶然会っただけの元同級生が、いきなり運命を語ってきた、ということで。その後、連絡は続かなかった」
「あの不思議な体験を言語化しようとした瞬間に、何かが壊れた気がする。縁って説明した瞬間に、その重さが変わってしまうものなのかもしれない。感じるものであって、語るものじゃない。でも語りたくなる。その矛盾を、今でも持て余してる」
今井さんは、3度繰り返した関係の話の最後にこう言った。
「縁がある、という実感を持つことと、その縁を正しく扱うことは、全然別の能力だと思う。縁を感じる感度が高い人が、縁を壊すのも早い、ということが普通にある。私がそうだったから、よくわかる」
神保町のジャズバーを出たのは、深夜に近い時間だった。岸本さんは「また来ます、ここ」と店主に声をかけた。顔なじみだった。
外に出ると、冷えた空気がきた。古書店の閉まったシャッターに、街灯の光が落ちていた。
岸本さんが歩きながら言った。
「縁って、信じてる人と信じてない人で、見えてる世界が違う気がするんですよ。どっちが正しいかじゃなくて縁を信じてる人は、同じ出来事を違う厚みで受け取ってる」
「俺は、あの福岡の夜以来、縁を信じるようにしてる。うまくいかなかったとしても、意味があると思って生きてるほうが、人生が濃い気がして。根拠はないけど」
根拠のない確信を、根拠がないからといって手放さないでいることも、ひとつの生き方だと思った。