キョロ充ってどういう意味だろう。今回は、この言葉で笑われた人、自分でそうだと認めた人に話を聞きました。
最初に会ったミオさんは、大学三年生、21歳です。大学近くのカフェで、彼女は少し恥ずかしそうに、自分の話をしてくれました。
「私、たぶん典型的なキョロ充だったんです。だから、その言葉を最初に知ったとき、ぐさっときました。あ、これ私のことだって」
そもそもキョロ充とは、どんな意味なのか
リア充に憧れて、周りをキョロキョロする人のこと
まず、言葉の意味をはっきりさせておきます。キョロ充とは、ざっくり言えば、リア充に憧れて、周囲の目を過剰に気にして、いつもキョロキョロあたりを見回している人のことです。リア充という言葉と、落ち着かなく周りを見る様子を組み合わせた言い方だと考えると、わかりやすいと思います。
特徴は、はっきりしています。一人でいるのが苦手で、いつも誰かと一緒にいたがる。流行やグループの空気に、必死で合わせようとする。自分の意見より、その場で浮いていないかを優先する。ミオさんの言葉が、それを的確に表していました。
「学食で一人でご飯を食べるのが、怖くてしょうがなかったんです。だから、いつも知り合いの顔をキョロキョロ探してました。見つからなかった日は、トイレの個室でお弁当を食べて帰ったこともあります。一人で食べてる姿を、誰かに見られたくなくて」
ぼっちでもリア充でもない、その中間の苦しさ
キョロ充がややこしいのは、似た言葉との位置関係です。一人を貫くぼっちとも違うし、自然体で人気のあるリア充とも違う。その中間に、宙ぶらりんで漂っているのがキョロ充です。
「ぼっちって、ある意味、潔いじゃないですか。一人で平気な強さがある。リア充は、無理してなくて、ただ楽しそう。私はどっちにもなれなくて。一人は怖いから群れたいのに、群れの中でも心から楽しめてない。ずっと、輪の端っこで愛想笑いしてる感じでした」
実際にリア充だと思える先輩を見て、彼女は違いに気づいたといいます。
「その先輩、グループの中でも浮かず沈まずで、でも一人でいるときも全然平気そうで。あ、本物のリア充って、人気があるかどうかじゃなくて、自分らしくいられるかどうかなんだって。私に足りなかったのは、友達の数じゃなくて、それでした」
「キョロ充」と名付けられた日
必死だな、と笑われて、顔が火照った
この言葉が残酷なのは、たいてい、からかいや見下しとして使われることです。次に会ったタケシさんは、社会人二年目の24歳。高校時代のことを、苦笑いしながら話してくれました。
「クラスの中心にいる、明るいグループに入りたくて必死でした。休み時間に輪に入るために、話題を事前に調べておいたり、無理にテンション上げて笑いを取ろうとしたり。でも内心はずっとビクビクですよ。今の発言ウケたかな、変な目で見られてないかな、って、しゃべりながら全員の顔色をうかがってた」
ある日、それが言葉にされた瞬間があったといいます。
「グループの一人に、たけし、なんか必死だな、ってからかわれたんです。冗談っぽくでしたけど。あのとき、顔がカーッと火照ったのを、今でも覚えてます。自分が必死に隠してたものを、ぱっと見抜かれて、みんなの前で晒された感じで」
その後、この振る舞いにキョロ充という名前がついていると知ったとき、複雑な気持ちになったそうです。
「名前がついてスッキリした部分もあるんですけど、同時に、ああ、あれは笑われる対象なんだって、はっきり突きつけられた感じもして。自分のいちばん情けない部分に、ラベルが貼られたみたいで」
この言葉を笑う人も、形を変えて同じことをしている
いいねの数を気にする、みんなのキョロキョロ
ここで、立ち止まって考えたいことがあります。キョロ充という言葉は、誰かを下に見て笑うために使われます。でも、その中身を冷静に見ると、不思議なことに気づくんです。
一人が怖い。嫌われたくない。輪から外れたくない。周りの評価が気になる。これって、特定のダサい人だけの性質でしょうか。違いますよね。投稿につくいいねの数を何度も確認する。送ったメッセージにスタンプが返ってこないと不安になる。グループの中で、自分だけ温度が違わないか探る。今を生きる人の多くが、スマホの画面の中で、まったく同じキョロキョロをしている。
「言われてみれば、そうですね」タケシさんが、はっとした顔をしました。「俺をからかった奴らだって、SNSではいいね気にしてたし。場所が学校からネットに変わっただけで、やってることは同じだったのかも」
つまり、キョロ充というラベルが残酷なのは、誰もが多かれ少なかれ持っている弱さを、特定の人だけの恥ずかしい欠陥であるかのように切り出して、笑いものにするからです。
ラベルは、安心したい人が誰かを下に置く道具
このラベルの本当の役目は、たぶん、自分はそっち側じゃないと安心したい人が、誰かを自分より下に置くための道具です。あいつはキョロ充、と笑うことで、自分の中の同じ弱さから目を逸らせる。
だから、もしあなたが今、自分はキョロ充かもしれないと怯えながらこれを読んでいるなら、ひとつ伝えたいことがあります。それは、あなたが特別に情けないという意味ではありません。むしろ、人間がもともと抱えている弱さに、ごまかさず正直なだけ、ということでもあるんです。周りを気にしてしまう自分を、必要以上に責めなくていい。
一人が怖いのは、見られていない自分に価値を感じられないから
誰かといる自分にしか、価値がなかった
とはいえ、キョロキョロし続けるのがしんどいのも事実です。その根っこには、性格や習慣よりもっと深いものがある気がします。ミオさんと話していて、それがはっきり見えてきました。
「なんで一人がそんなに怖かったのか、自分でも考えたんです」彼女はゆっくり言いました。「たどり着いたのが、たぶん私、誰かと一緒にいる自分、誰かに必要とされてる自分にしか、価値を感じられなかったんですよ。だから、一人になった瞬間って、自分の存在がふっと消えちゃう感じがして。学食で一人だと怖かったのは、一人の自分には、見せる価値がないって、心の奥で信じてたからだと思います」
これは、とても本質を突いています。一人でいられないのは、孤独が嫌いだからではなく、誰にも見られていない自分には価値がない、と思い込んでいるから。だから視線を集められない瞬間に、存在ごと揺らいでしまう。
キョロキョロが止まるのは、内側に消えない自分を見つけたとき
だとすると、よくある克服法には、足りない部分があります。一人でカフェに行く練習をしよう、自分の意見を言う練習をしよう。それ自体は悪くない。ミオさんも、一人カフェの練習を続けて、最初はスマホをいじるだけだったのが、今は本を読んで過ごせるようになったといいます。
ただ、行動を変えるだけでは、根っこは残ります。本当に必要なのは、誰も見ていなくても、誰にも認められなくても、自分という存在はちゃんとここにある、という感覚を、少しずつ取り戻すこと。キョロキョロが止まるのは、外を見るのをやめようと頑張ったときではなく、内側に、見られなくても消えない自分を、ふと見つけられたときなんだと思います。
最後に、ミオさんに、もう完全に克服できましたか、と聞いてみました。彼女は、いえ全然、と笑いました。
「今でも、カフェに入ると知り合いがいないか、ついキョロキョロしちゃいます。たぶん、これは一生消えないんだろうなって。でも、最近思うんですよ。キョロキョロする自分を、無理やり直そうとするのも、結局、ちゃんと克服した自分を人に見せたいっていう、また別のキョロキョロなんじゃないかって」
だから、と彼女は続けました。
「治さなくてもいいことにしたんです。周りが気になる弱さも、まあ自分の一部だよねって。キョロキョロしながらでも、たまに、誰も見てなくても消えない自分にちょっと触れられたら、それでいいかなって。完璧な自然体になんて、ならなくていい」
冷静に意味を調べに来たはずのあなたが、もし途中から少し胸が痛かったのなら、それはたぶん、あなたもどこかでキョロキョロしながら生きている、ということです。それは恥ずかしいことではなくて、ただ、人といたいと願う気持ちに、正直なだけなのだと思います。