二十歳ほど年の離れた相手を、好きになってしまった。60代男性と40代女性の恋愛、と検索する人は、たぶん、自分のこの気持ちが世間からどう見られるのか、この先どうなるのかを、静かに確かめたいのだと思います。周囲の目、将来の不安、体力の差。課題は確かにあります。でも、当事者に会って話を聞くと、見えてきたのは、若い恋愛が忘れていられる、ある真実でした。
最初に会ったユミコさんは、46歳の公務員です。落ち着いた喫茶店で、彼女はゆっくりとコーヒーを口に運びながら、自分の話をしてくれました。長く一人で生きてきて、休日も資格の勉強や読書に充ててきた人でした。
「ふと、このまま一人で老いていくのかな、って思った頃に、近所の小さな書店で、その人に出会ったんです。67歳の、元高校の先生でした」
同年代の男性には、もう惹かれなくなっていた
一緒にいると、いつも値踏みされている気がした
ユミコさんは、それまで同年代の男性と縁がなかったわけではないといいます。ただ、どこか疲れていた、と。
「四十代、五十代の男性って、まだ何かと戦ってるんですよね。仕事の競争とか、出世とか、自分を大きく見せたいとか。一緒にいると、こちらも、なんとなく値踏みされてる気がして。この女は自分にふさわしいか、みたいな目線を、どこかで感じるんです。私も私で、ちゃんとして見られなきゃって、気を張ってしまって」
それが、年上の彼の前では消えたといいます。
「佐々木さん、その元先生は、もう何も証明しようとしてないんです。私をどうこうしようとも、自分をよく見せようともしない。ただ、そこにいる。文学とか旅の話を、ゆっくりするだけ。気がつくと、月に何度も会うようになっていました」
競争から降りた人の、静けさに救われた
ユミコさんが惹かれたものの正体を、私はこう理解しました。それは、包容力とか経済力とか、よく言われる言葉では足りない。本当の魅力は、彼が、もう何者かになろうとしていないことでした。
人生のある時期まで、男性の多くは、競争のステージの上にいます。出世や見栄や、自分を大きく見せる戦いの中で生きている。一緒にいる相手も、その緊張に巻き込まれる。でも、六十代でその競争から降りた男性には、その張りつめたものがない。あなたを値踏みしない。あなたを変えようとしない。ただ、隣にいてくれる。
「その静けさに、救われたんだと思います」ユミコさんは言いました。「私もずっと、仕事でも何でも、何かと戦って、気を張って生きてきたので。もう戦わなくていい人のそばにいると、自分の肩の力も、すっと抜けるんですよ」
年の差は、経験の差というより、競争の場から降りているかどうかの差。それが、この組み合わせの、本当の引力なのだと思います。
でも、この恋には終わりが見えている
自分が先に、独りになるという未来
もちろん、この恋には、目を逸らせない現実があります。それを正面から語ってくれたのが、マリさんでした。48歳で、子どもと二人で暮らしながら、62歳の男性と穏やかな関係を続けている人です。
「この人を好きになるって、たぶん、この人を看取るってことなんですよね」彼女は静かに言いました。「年の差を考えれば、ふつうに考えて、私が先に独りになる。恋を始める時点で、もう終わりの形が、うっすら見えてるんです」
それでも選んだのは、なぜですか。私がそう尋ねると、彼女は窓の外を見て、少し間を置きました。
「終わりが見えてるからこそ、なのかもしれません。いつまでもあると思ってないから、一日一日が、すごく濃いんです。今日会えたこと、一緒にご飯を作れたこと、ぜんぶが当たり前じゃない。残された時間を、丁寧に生きようって、自然に思える。若い頃の恋では、こんな感覚、なかったです」
終わりが見えているから、今が濃い
似たことを、60代の男性側からも聞きました。ヒロシさん、62歳。妻をがんで亡くして三年目に、絵画教室で40代の女性と出会った人です。
「妻を見送って、残りの人生は一人で静かに終わるんだと思ってました」彼は穏やかに話しました。「そこに、彼女が現れて。最初は、年の差をどう思われるかって、ためらいましたよ。でも、彼女の明るさと芯の強さに、救われる思いだったんです」
彼にとって、終わりが見えていることは、むしろ今を生きる力になっているといいます。
「この歳になると、自分に残された時間が、若い頃より、ずっとはっきり見えるんです。だから、彼女と過ごす一日を、無駄にしたくない。喧嘩してる暇も、不機嫌でいる暇も、もったいない。残りが限られてるって感覚が、毎日を濃くしてくれるんですよ。皮肉なもんでね」
周りは、純粋な気持ちを物差しで測ってくる
財産目当て、介護要員、という邪推への痛み
この恋を生きる人たちを苦しめるのは、当人たちの気持ちより、むしろ周囲の視線です。マリさんは、その痛みを率直に話してくれました。
「周りはね、いろいろ言うんです。あの人、財産目当てなんじゃないの、とか。若いのに、将来介護要員にされるだけよ、とか。私が彼の穏やかさを、ただ好きで選んだだけなのに、年が離れてるってだけで、何か裏があるはずだって、勝手に物差しを当ててくる」
純粋な気持ちを、世間のものさしで測られる。それが、いちばんこたえるといいます。
「私の気持ちは、私のものなんです。お金とか打算とか、そういうことじゃない。でも、いくら説明しても、年の差を見た瞬間に、人は勝手な物語を作る。そこは、もう諦めてます。わかってくれる人だけ、わかってくれればいい」
私はこの人の穏やかさを選んだ、という一言
周囲の声に押しつぶされそうになったとき、当人たちを支えるのは、相手のまっすぐな言葉でした。ある65歳の男性は、自分が若い相手の負担になるのではと悩んでいたとき、相手の女性に、私はあなたの穏やかさが好きで選んだんです、とはっきり言われて、周りの目を気にしないと決められたそうです。
マリさんも、同じでした。
「彼が一度、自分は君の重荷になるかもしれない、って言ったことがあって。私、それは私が決めることだから、って返したんです。誰に何を言われても、私がこの人といたいと思ってる。その事実だけは、誰にも測れないし、奪えない」
終わりの非対称は、すべての愛が抱えている
三人の話を聞いて、ひとつのことに行き当たりました。年齢差恋愛が特別に見えるのは、いつか片方が先にいなくなる、という事実が、最初からはっきり見えているからです。でも、よく考えると、これは、この組み合わせだけの話ではありません。
年が近いと、それを忘れていられるだけ
どんなカップルも、年齢が近くても、いつかは必ず、片方が先に逝きます。別れの非対称は、すべての愛が、もともと抱えている真実です。年が近いと、それをずっと先のことだと思って、忘れていられるだけなんです。
年齢差恋愛の人たちは、その忘れられる猶予を、最初から持っていません。だから、終わりを直視して、引き受けて、それでも始める。終わりを見ているからこそ、今を逃げずに生きる。終わりを忘れている近い年齢のカップルより、ずっと丁寧に、一日を生きていることがある。これは、年の離れた恋が教えてくれる、静かで、少し厳しい真実でした。
マリさんが、別れ際に、こんなことを言いました。
「いつか必ず、お別れの日が来ます。それを思うと、今でも胸が締めつけられる。覚悟したつもりでも、その影は、ずっと消えないんです。でもね、終わりがあるから、今があるんだって、最近は思えるようになって。永遠じゃないからこそ、この穏やかな時間が、こんなに愛おしいんだって」
終わりが見えていることは、覚悟であると同時に、ずっと付きまとう影でもある。彼女たちは、その影と、今の穏やかさを、両手に抱えて生きていました。いつか来る別れと引き換えに、この静けさを選んだことに、後悔はない。けれど、痛みはある。その割り切れなさごと引き受けて、彼女たちは今日も、隣にいる人と、ゆっくりお茶を飲んでいるのだと思います。