寂しい、と口に出す。言った本人は、ただの独り言のつもりでいる。
聞いた側は、たいてい別のものとして受け取る。誘われている、と思う。あるいは、都合よく扱っていい人だ、と判断する。言って後悔した人、言わなかったせいで消えた人、言われて勘違いした側に話を聞いた。
愚痴のつもりだった一言が、入り口にされた
会ったのは大手町の、ビルの谷間にあるチェーンのカフェ。夜八時、周りはスーツばかりで話し声が低い。あゆみさん、二十七歳、会社員。彼女は最初、少し怒っているような話し方だった。
残業が続いてた時期で、同じ部署の男の人と駅まで一緒に歩いてたんです。九時過ぎくらいかな。
疲れてて、口が緩んでたんだと思います。最近、家に帰っても誰もいなくて寂しいんだよね、って言っちゃった。深い意味はゼロです。今日寒いね、と同じレベルの発言でした。
そしたら彼、急に真剣な顔になって。じゃあ今度ご飯でも行く、って。
断る理由が、その場で作れなかった
そこで断ればよかったんですけど、断れなかったんですよ。自分で寂しいって言った直後に、いや大丈夫です、とは言いにくくて。矛盾してるじゃないですか。
一回だけ食事に行きました。それが失敗でした。
その後、彼から連絡が来るたびに、寂しいって言ってたよね、って前置きがつくようになった。あの一言が、私と彼の間の何かの契約書みたいになってた。
彼女はここで一度息を吐いた。
寂しいって、状態の説明なんですよ。お腹すいた、と同じ。それを、誰か来てください、という依頼として受け取られた。私は報告したつもりで、向こうは注文を受け取ってた。
関係は半年ほど曖昧なまま続き、あゆみさんが異動になったところで切れたという。
言葉のトーンが、どこかで消えている
あゆみさんの話で、報告と依頼という言い方が出てきた。この差は、たぶん大きい。
寂しいという言葉には、少なくとも三種類ある。ただの状態の報告。誰かに慰めてほしいという弱った合図。そして特定の相手に向けた呼びかけ。当人の中では、この三つはまったく別物だ。
ところが口から出ると、全部同じ三文字になる。トーンや文脈で伝わるはずのものが、聞く側の期待でいくらでも上書きされる。好意を持っている人が聞けば、呼びかけに聞こえる。都合のいい相手を探している人が聞けば、隙に聞こえる。
言葉が届く前に、受け手の中に別の解釈が用意されている。そこに三文字が着地する。誤配というより、最初から違う住所に配達されている。
寂しいと言う後輩を、複雑な気持ちで見ていた
けいこさん、三十一歳、看護師。彼女は言われる側でも言う側でもなく、隣で見ていた立場だ。
職場の後輩が、口癖みたいに言ってたんです。彼氏いなくて寂しい、って。悪気はないんですよ。本当にそう思ってただけだと思う。
ある飲み会で、その子がまた言ったときに、周りの男性たちが、じゃあ俺が相手してあげるよ、って冗談っぽく返したんです。笑い声が起きて、その場は流れた。
私、あの瞬間の空気が忘れられないんですよね。
言った瞬間に、値札がつく感覚
うまく言えないんですけど、あの子に値札がついた気がしたんです。寂しいと言った人は、誰でもいいと思ってる人だ、みたいな扱いになる。
実際、その後あの子への接し方が少し変わった人が何人かいました。距離の詰め方が雑になったというか。
だから私は、絶対に言わないようにしてました。当時、独身で、恋愛を急いでもなかったし。でも寂しいと言った瞬間に、あの分類に入れられるのが嫌で。
言わなかったせいで損をしたかもしれない、とも思います。ただ、あのときの空気を見ちゃったので、もう無理でした。
寂しさで始まった関係は、寂しさが消えると終わった
まゆさんが話してくれたのは、二十四歳、大学生だった頃のこと。現在は二十九歳。
友達と話してるときに、彼氏いないと寂しいよね、って普通に言ってたんです。本当に寂しかったし、隠すことでもないと思ってた。
その場にいた男友達が、俺でよければ、って真顔で言ってきて。冗談だと思って笑ったんですけど、本気でした。
付き合い始めて、最初の二ヶ月くらいはよかったです。夜に連絡が来るし、休みの日に予定がある。埋まった感じがしました。
埋まったあとに、何も残っていなかった
問題はそこからだったという。
寂しさが埋まったら、この人といる理由がなくなったんですよ。
好きじゃなかったわけじゃないんです。ただ、私がこの人といる動機が、寂しさ以外に見つからなかった。会っても、特に話すことがない。埋め終わった穴の前で、二人で立ってるみたいな感じでした。
一年ほどで別れた。彼女は今もそのときのことを気にしている。
彼は悪くないんですよ。俺でよければ、って言ってくれた人に対して、私は自分の穴を埋める作業をさせただけで。あれはよくなかったな、と思ってます。
全部サインだと思っていた
たくみさん、二十九歳、営業職。男性側からの話だ。
気になってた女性が、最近寂しいんだよね、って何回か言ってたんです。三回か四回。
俺、完全にサインだと思いました。というか、そう思いたかったんだと思います。この人は俺に何か求めてる、って。
デートを重ねて、告白しました。返ってきたのが、寂しいのは事実だけどあなたと付き合いたいわけじゃない、で。
女性の発言を、全部自分宛てに読んでいた
かなり落ち込みましたけど、後から考えたら、俺の読み方がおかしかったんです。
寂しいって言われて、じゃあ俺だ、って思ってる時点で、飛躍がすごい。あの人は誰かに聞いてほしかっただけかもしれないし、たまたま口に出しただけかもしれない。宛先が書いてないのに、俺が勝手に自分の名前を書き込んでた。
彼は今もそのことを考えるという。
女性が弱ってる発言をすると、チャンスだと解釈する癖が自分にあったんですよ。それって、相手が弱ってるときにしか近づけないってことでもあって。かなりまずいなと思って、そこは意識して直しました。
隠しても、出しても、うまくいかない
りなさん、三十四歳、フリーランス。長く独身だった時期の話をしてくれた。
友達から、彼氏いなくて寂しくないの、ってよく聞かれてました。別に、って答えてました。強がりじゃなくて、半分は本当です。
ただ、休みの日の夜とか、旅行の計画を一人で立ててるときとか、ふっと来るんですよ。この計画を誰にも話さないんだな、と思った瞬間に。
アプリで会った人に、一度だけ正直に言ったという。寂しいから会いたい、と。
正直さが、いちばん警戒された
返ってきたのが、寂しいだけの関係はしたくない、でした。それきり距離を置かれた。
あれはこたえましたね。隠したら強がってると思われて、出したら都合のいい相手扱いされて、正直に言ったら警戒される。じゃあどうすればよかったのかが、いまだにわからない。
結局、彼女は趣味のサークルで知り合った人と自然に付き合い始めた。
その人には、寂しいって一回も言ってないです。言う必要がなかった。会いたいから会う、で成立してたので。
寂しいって言葉って、たぶん、その人といる理由が他に見つからないときに出てくるんですよ。理由が他にあるときは、出てこない。
否定したら、会話が終わった
さやかさん、二十六歳、事務職。彼女は逆に、言うことを避け続けた側だ。
寂しいって言葉が嫌いなんです。というより、本当は寂しいんでしょ、って決めつけられるのが嫌で。
実際、寂しくない日のほうが多いんですよ。一人の時間が好きだし。それなのに、独身というだけで寂しい人の枠に入れられる。
ある男性に言われたんです。彼氏いないの、寂しいね、って。私、強めに否定しました。寂しいわけじゃないです、って。
防御が、拒絶として届いた
その後、その人との会話は続かなくなりました。
後から思ったんですけど、あれ、私の否定の仕方が強すぎたんだと思います。あの人は、たぶん会話を続けようとしてただけで。私は寂しい人扱いされたことに反応して、その人自体を拒否する形になってた。
守ろうとしたものと、失ったものが、たぶん釣り合ってないです。ただ、じゃあ次は柔らかく返せるかというと、たぶんまた同じことをやると思います。あそこは私の反射なので。
六人の話に共通していたのは、寂しいという言葉の意味を、言った側がコントロールできていないことだった。あゆみさんは報告のつもりで依頼として届き、りなさんは正直に言って警戒され、さやかさんは否定して拒絶になった。
けいこさんが最後に言ったことが残っている。あの言葉って、言った瞬間に自分の手から離れるんですよ、と。だから私は言わないんですけど、言わないから伝わらないことも、たぶん山ほどあります、と。
まゆさんは今、別の人と付き合っている。寂しいと言うかどうか聞くと、言わないですね、と即答した。理由を聞くと、少し考えてから答えた。言わなくても平気だから、じゃないんです。言う必要がないくらい、他に話すことがあるだけで。前の人といたときは、話すことがなかったから、寂しいしか出てこなかったんだと思います。
言葉が減ったことが、関係が良くなった証拠になる。そういう場合もあるらしい。