嫌いになったわけではない、と彼らは言う。言われた側からすれば意味がわからない。好きなのになぜ離れるのか。距離を置きたいと言ってしまった側の男性六人に、あの言葉を口にする前の数週間で何が起きていたかを聞いた。全員が、当時は説明できなかったと答えた。説明できないまま言ったから、あの言い方になった。
聞き取りは平日の遅い時間に分けた。三人目からは、話しながら手元の紙ナプキンをいじる人が続いた。最初のタクヤさんは、椅子に座るなり「これ、女性が読むんですよね」と確認した。読みます、と答えたら、少し姿勢を正した。
好きすぎて怖くなる、という状態
順調なときに、言ってしまった
三十四歳のタクヤさんが距離を置きたいと言ったのは、関係が最もうまくいっていた時期だった。
「何も問題がなかったんですよ。喧嘩もしてないし、会う頻度も安定してたし」
それなのに。
「言いました。少し距離を置きたい、って。向こうは完全に固まってました」
理由は説明しましたか。
「できなかったです。自分でもわかってなかったので。嫌いになったわけじゃないんだよ、しか言えなくて」
今ならわかりますか。
「関係が深まるほど、このままでいいのかっていう不安が膨らんでいったんです。あと、後戻りできなくなるのが怖い、っていうのが強くて」
後戻りというのは。
「別れられなくなる状態ですね。この人の人生に責任を持つ位置まで行ったら、もう引き返せないって。そう思った瞬間に、逃げたくなった」
好きだったんですか。
「好きでした。好きすぎて、暴走する前に自分を止めた感じです。当時は自分を守ることを最優先にしてました」
彼はそこで、少し目を落とした。
「結果として、あの人をめちゃくちゃ傷つけたんですけど。自分が傷つかないことしか考えてなかったので」
深まった関係が、損失として計算される
三十歳のケンさんは、自分の傾向をはっきり自覚している。
「回避型だと思います。距離を猛烈に離すことがあって」
心の中で何が起きているんですか。
「捨てられたくない、でもどうせ捨てられる。この二つが同時にあるんですよ」
矛盾していますね。
「してます。で、その解決策が、振られる前に振る、嫌われる前に離れる、拒絶される前に拒絶する。これです」
先手を打つ。
「打ちます。傷つかないことが最優先なので、自分の言動が相手に何をするかには鈍感になる」
具体的にはどんな行動を。
「付き合うって言ったのに関係を進めないとか。自分から過去を打ち明けておいて、返事が来たら既読無視するとか。好意を示した直後に曖昧な態度を取るとか」
振り回しますね。
「振り回してました。完全に。言葉と行動が食い違ってるんですよ、ずっと」
言葉と行動、どちらが本心なんですか。
「両方です。好きなのも本当だし、怖いのも本当。だから、どっちを信じてって言われても答えられない」
関係が深まると、失う可能性のあるものが大きくなる。安心材料として計上されるはずのものが、この構造では損害額として計上される。だから良い状態ほど警戒が上がり、良いタイミングで撤退が起きる。
自分に余裕がないときに、逃げる相手を間違える
三十七歳のリョウさんの理由は、もっと現実的だった。
「仕事と将来のことで、まったく余裕がない時期があって」
そのときに。
「好きな人の前から消えました。連絡を減らして、会う回数も減らして」
なぜ。
「このままじゃ幸せにできないかもしれないって思ったからです。中途半端な自分を見せたくなかった」
見せたら何が起きると。
「がっかりされるでしょ。あの人、期待してくれてたので。期待されるほど自信がなくなって、動けなくなっていった」
彼はそこで、はっきり言った。
「逃げた相手は彼女じゃないです。情けない自分から逃げてました。ただ、逃げるときに彼女を巻き込んだ」
相手はどう受け取ったんですか。
「私に魅力がなかったのかなって、自分を責めてたらしいです。あとから聞きました」
実際は逆だったと。
「逆です。魅力がありすぎて、釣り合ってないと思ったから離れたので。でもそれ、当時言えないんですよ。言ったら余計に情けないから」
ここに構造的な問題がある。自信のなさから離れる男は、その理由を説明することが最も苦手だ。説明すること自体が、隠したかったものを開示する行為になる。だから言葉を濁す。濁された側は、自分に原因があると読む。
追われすぎると、動きが止まる
三十一歳のユウタさんは、別の種類の話をした。
「熱烈にアピールされると、ちょっと距離を置きたいかもって感じることがあるんです」
嫌なんですか。
「嫌じゃないです。むしろ嬉しい。なのに、なぜか引く」
説明できますか。
「放っておかれると寂しくなるんですよ。構われすぎると逃げたくなる。自分でも猫みたいだと思ってます」
逆のパターンもありますか。
「あります。彼女が自分の時間を楽しんでるのを見ると、最近冷たくない、俺のこと忘れてない? って近づきたくなる」
勝手ですね、と私は言った。彼は笑った。
「勝手です。完全に。ただ、自己肯定感が高くて、私は私で楽しいってスタンスの人ほど、こっちが溺愛モードに入りやすいのは事実だと思います」
なぜだと思います。
「追われすぎると満足しちゃうんですよ。もう手に入ってる感じがして。適度に距離があると、もっと知りたいっていう欲が育つ」
ただし彼は、そのあとに付け足した。
「これ、駆け引きとして狙ってやると、たぶん失敗します。演技だとバレるので。あの人が本当に自分の人生を楽しんでたから効いてただけで」
気持ちが強くなるほど、行動が減っていく
二十八歳のショウさんは、女性側から見えている変化と、本人の内側のずれを説明してくれた。
「関係が深まるほど、気持ちは強くなるんです。なのに行動は減っていく」
行動というのは。
「連絡の回数とか、褒める頻度とか、デートを企画するとか。全部減ります」
女性から見ると。
「どんどん冷たくなってきた、に見えるでしょうね。でもこっちは、心を許して落ち着いてきただけなんですよ」
その差は説明しないんですか。
「しないです。というか、思いつかない。落ち着いてることを、わざわざ報告しないので」
彼には別れた経験もある。
「一緒に過ごす時間が長くなってきて、このままでいいのかって思い始めて。それで、重いとか価値観が合わないとか言って振りました」
本音は。
「好きすぎて怖かっただけです。あのとき使った言葉、全部嘘です」
相手はその嘘を信じたはずだ、と私は言った。
「信じたと思います。だから、あの人は今も自分が重かったせいだと思ってるかもしれない。それが一番よくないことをしたなって」
言えなかった理由を、彼はこう説明した。
「好きすぎて怖いって、言葉にすると意味がわからないでしょ。自分でも意味がわからないので。だから、相手が納得しそうな理由を探して、そっちを言うんです」
代わりに差し出された理由の方が、言われた側の記憶に残り続ける。
距離を置かれた側は、何をすればいいのか
三十三歳のマコトさんは、この取材で唯一、言われた側の経験を持っていた。
「距離を置きたいって言われたことがあります」
そのときは。
「終わったと思いました。三秒くらいで」
実際は。
「一人で気持ちを整理したかっただけでした。その時期、向こうが仕事でかなり追い込まれてて」
追いましたか。
「最初は追いました。毎日連絡して。逆効果でしたね、完全に」
どうしたら良かったと思いますか。
「距離を縮めようとする前に、なぜ距離を置いたのかを知るべきでした。理由によって、やることが正反対なので」
正反対とは。
「嫌いになったなら、追っても無駄です。整理したいだけなら、待てば戻る。余裕がないなら、待つ以外にできることがない。全部違うのに、俺は全部同じ対応をしてました」
聞き出せるものですか。
「聞き方によります。なんで、って詰めると答えられないです。本人もわかってないので。俺は、いつ頃また話せそう? って聞き方に変えました。期限の話ならまだ答えやすいので」
六人とも、あのときの言葉を訂正できていない
最後に全員に同じ質問をした。当時の相手に、今なら本当の理由を説明できますか。
リョウさんは首を振った。
「できないです。連絡先も残ってないですし。あと、今さら言われても迷惑でしょ」
ショウさんは少し考えてから答えた。
「説明はできます。今なら言葉があるので。ただ、それをやるのは自分がすっきりしたいだけなんですよ。相手のためじゃない」
タクヤさんの答えだけ、違った。
「一回だけ、伝えようとしたことがあります。二年後くらいに。文章を書いて、送る直前で消しました」
なぜ消したんですか。
「読んだら、あの人がまた考えるからです。もう考えなくていいことを、こっちの都合で掘り返すことになる」
それでいいんですか、と聞いた。
「よくないですよ。よくないですけど、あのとき説明できなかったのは俺の失敗なので。失敗の後始末を相手にさせるのは違うかなと」
彼はコップの水を飲み干して、しばらく黙っていた。
「たぶん、あの人は今も理由を知らないままです。それが正しいのかどうかは、今も判断がついてないです」
店の照明が一段落とされて、閉店が近いことがわかった。誰かが厨房で食器を重ねる音がしていた。