始まる前がいちばん苦しかった、と全員が言う。付き合ってからではなく、その手前の数ヶ月。報われるまで耐えろという話をしたいのではない。六人に、痛みの中身を分解してもらった。全員が、苦しさの正体を後になって言い当てていた。
聞き取りは季節をまたいだ。三人目のあたりで気づいたことがある。この話をする人は、みんな年月の数え方が異常に細かい。半年、と言わずに、七ヶ月と二週間、と言う。
好意を伝えたのに、返事がもらえない期間
曖昧な返事が続いた七ヶ月
三十五歳のアカリさんの場合、出会ってから付き合うまでに半年以上かかった。
「正確には七ヶ月です。数えてました」
その間、何が起きていたんですか。
「何も起きてないんですよ。それが問題で。好意は伝えてあるのに、返ってくるのが曖昧な言葉ばっかりで」
たとえば。
「ありがとう、とか。嬉しいよ、とか。答えになってないでしょ」
どう過ごしてました。
「仕事の合間に連絡を待って、会える日を数えて。夜中に泣いた日は、たぶん二十回はあります」
自分の気持ちを疑いましたか。
「疑いました。何回も。私、本当にこの人が好きなのかな、それとも意地になってるだけかなって」
彼がようやく好きだと言ったときは。
「安堵しました。まず。それと同時に、ここまで苦しかったのに、っていうのが込み上げてきて」
喜びだけではなかった。
「なかったです。嬉しいのに、腹が立ってる感じもあって。あの七ヶ月を返してほしいっていう気持ちが、少しだけ残ってました」
判定が保留されている状態そのものが痛い
六人の話を並べて、まず見えたのはこれだ。痛みの中身は拒絶ではない。
拒絶されたなら、痛いが終わる。終われば次に進める。曖昧な返事が続く期間は、判定が下されないまま自分を提出し続ける状態になる。
三十歳のケンさんも同じ位置にいた。好きな女性がすでに他の人と親しくしていて、遠巻きに見ているしかなかった。
「告白する勇気が出なかったんです。断られたら終わるので」
どのくらい。
「四ヶ月です。毎日不安で眠れなくて」
何を考えていました。
「あの人の笑ってる顔を思い浮かべては、自分の存在の小ささを感じてました。諦めるか踏み込むかで、毎晩どっちかに決めて、朝には逆になってる」
結局。
「思い切って伝えたら、意外とすんなり受け入れられました」
拍子抜けしましたか。
「しました。あの四ヶ月は何だったんだって。ただ、あの期間があったから、伝えたときの言葉が本気になったんだとも思ってます」
自分の中で判定を保留したまま抱え続ける時間が、痛みの本体だった。彼の場合、判定を止めていたのは相手ではなく自分だ。
育てる過程にも、同じ痛みがある
三十三歳のサヤカさんは、遠距離を始めた頃をそう呼ぶ。
「会えない時間が長くて、連絡が少し遅れるだけで不安になって」
不安になると。
「電話で言い争いになるんです。そのあと後悔して。この繰り返しでした」
生活リズムは。
「合わなかったです。向こうが夜勤のある仕事で、私が朝型で。話せる時間が一日に三十分もない日が続いて」
続ける意味を考えましたか。
「考えました。何回も。あの人も、無理かもしれないって弱音を吐いたことがあって」
そこからどう変えたんですか。
「少しずつ調整しました。通話の時間を固定して、それができない日は文章でいいことにして。あと、相手の立場をちゃんと想像するようにして」
彼女はそれを、努力というより作業だったと言う。
「ロマンチックな話じゃないんですよ。全部、生活の調整です」
報われた瞬間は。
「久しぶりに会って、やっぱり好きだって確認し合ったときですね。あのときだけは、苦しかった分が戻ってきた気がしました」
三十七歳のリョウさんの場合は、結婚を前提に付き合い始めてからだった。
「家族の反対、価値観の違い、将来の不安。全部いっぺんに出てきました」
順番にではなく。
「同時です。話し合うたびに疲れて、この人でいいのかって疑う日もあって」
相手も。
「同じでした。二人で泣いた夜もあります」
彼はそこで、一度言葉を止めた。
「関係を本気で作るのって、こんなにエネルギーが要るのかと思いました。恋愛って、もっと自然にできるものだと思ってたので」
一度振られてから、もう一度やった人
二十八歳のミユキさんの一年は、この取材でいちばん長い。
「好きだと気づいてから、彼の反応を毎回観察してました。共通の話題を探して、距離を縮めようとして」
必死だったんですね。
「必死でした。抑えきれなくて泣いた夜もあるし、友達に相談したらやめなよって言われて、さらに落ち込んで」
やめなよと言われた理由は。
「あの子から見て、私が消耗してるのが明らかだったんだと思います。今はわかります」
そこで告白して。
「振られました。はっきりと」
そこで終わらなかった。
「終わらなかったんですよ。半年かけて、もう一回アプローチしました」
半年、何をしていたんですか。
「距離を取ってました。連絡を減らして、自分の生活を立て直して。あれ、作戦じゃなくて、単に立ち直るのに半年かかっただけです」
そのあと付き合えた。
「付き合えました。でも、素直に喜べなかったんですよ。ここまで苦しんでよかったのかなって」
今はどう思いますか。
「あの苦しみがなかったら、今の関係はないとも思ってます。ただ、それを人に勧めたいかっていうと、違う」
彼女は少し考えてから続けた。
「同じことをして、うまくいかない人の方が多いはずなので。私はたまたま結果が出ただけで、あれを美談にするのは危ないなって」
苦しんだ分だけ価値が上がる、という錯覚
ここは書いておきたい。
苦しみを通過した関係を、人は特別なものとして扱いやすい。支払ったコストが大きいほど、手に入れたものの価値を高く見積もる。これは恋愛に限らず起きる。
つまり、産みの苦しみを経た関係が深いのではなく、深いと感じるように認知が働いている可能性がある。
ミユキさんの警戒は、まさにそこに向いていた。三十一歳のユリさんの話も、この点で興味深い。
彼女は復縁までの期間をそう呼ぶ。
「別れてから数ヶ月、彼の気持ちがわからないまま過ごして。毎日、後悔と希望の繰り返しでした」
何をしていましたか。
「連絡を取るタイミングを計って、自分を変えようとして。何度も心が折れかけました」
自分を変えるというのは。
「あのときは、彼が嫌がってた部分を直そうとしてました。今考えると、それが正しかったのかはわからないです」
彼が心を開いたときは。
「やっと生まれた、って思いました」
彼女はその言葉を選んだ理由も説明した。
「戻ってきた、じゃないんですよ。新しく生まれた感じでした。前と同じ関係には戻ってないので」
不安、寂しさ、自己否定。その全部を経たことについて、どう思っているか聞いた。
「簡単に手に入る関係では味わえない実感はあります。ただ、それって、私が高い代金を払ったから価値があると思いたいだけかもしれない、とも思ってて」
痛みの中にいる人に、六人が言ったこと
最後に全員に聞いた。今まさに同じ苦しみの中にいる人がいたら、何と言いますか。
サヤカさんの答えは短かった。
「終わりを決めた方がいいです。私はいつまでやるかを決めてました。半年やって無理なら終わりにするって」
決めていたんですか。
「決めてました。決めてないと、永遠に続けられちゃうので」
ケンさんは違うことを言った。
「伝えた方がいいですよ。俺は四ヶ月無駄にしたので。判定が出ないのが一番きついんです」
アカリさんは、少し困った顔をした。
「言えることがないんですよ、正直。あのとき誰かに何を言われても、私は続けてたと思うので」
じゃあ何もできない。
「できないです。ただ、あの期間の自分を、後からちゃんと労ってあげてほしいとは思います。私、それをやってなかったので」
やっていない、というのは。
「付き合えた瞬間に、あの七ヶ月をなかったことにしちゃったんですよ。報われたからいいや、って。でも、あのとき泣いてた自分は別にいて、あの子は報われてないんです」
彼女はそこで、自分の言葉に少し戸惑ったような顔をした。
「今の関係は続いてます。九年目です。だから正解だったって言われるんですけど、あの七ヶ月が正解だったかは、まだ別の話として残ってる感じがしていて」
窓の外で雨が降り始めて、しばらく二人とも黙っていた。