いま日本で婚姻届が受理されるのは男女とも満十八歳から。親の同意もいらない。改正前は女性だけ十六歳から出せて、そのときは親の署名が必要だった。数字としてはそれだけの話だ。それなのにこの言葉を調べる人が絶えないのは、十六という年齢が、家を出る理由や、学校をやめる決断や、あとから来る後悔とくっついて語られてきたからだと思う。当時その年齢で籍を入れた人たちに会った。話の中心は結婚生活ではなく、そのあとの二十年のほうだった。
平日の午後三時、郊外の団地の一室。台所の換気扇が回っていて、洗濯機の終了音が話の途中で二回鳴った。テーブルの端に子どもの給食袋が三つ重ねてある。美咲さんは椅子に座る前に麦茶を出してくれて、座ってから、どこから話せばいいですか、と聞いた。
十六歳の誕生日に、届けを出した
十五歳のときに、家が変わった
美咲さんは母子家庭で育った。中学の頃は、女優になるか留学するか、という話をしていたという。
十五のときに、母が再婚したんです。相談は一切なかったです。ある日いきなり、この人が新しいお父さん、って。
新しい家族とは折り合わなかった。彼女は祖母の家へ一人で移っている。
人生終わった、って思いました。本気で。夢はもう全部無理だなと。そのときに残ってたのが、若い母親になる、っていう想像だけだったんです。
当時交際していた相手は五つ上だった。妊娠がわかり、高校には進学していない。
産んだ夜のことと、そのあとに来たもの
届出の半年後に長女を産んでいる。
あの夜のことは、いまでも一番いい記憶です。味わったことのない幸福感でした。それは嘘じゃない。
問題はその翌日から始まったという。
家計の管理も、育児も、相手との話し合いも、全部が重すぎたんです。十六の自分に判断できることじゃなかった。喧嘩の仕方もわからないし、何にいくらかかるのかも知らない。
その後、結婚と出産と離婚を繰り返した。子どもは三人いる。
紙に書いてみてほしい、という言い方
当時の自分をどう見ているのか聞いた。
恋愛の延長で、家庭に逃げたんだと思います。まず社会の勉強をすべきだった。愛情はありましたよ。あったのに、判断する材料が足りなかった。そこが一番くやしい。
同じ状況の人に何か言うとしたら、と聞くと、彼女は少し考えた。
止めはしないです。私が言われても聞かなかったので。ただ、籍を出す前に一回だけ、生活の数字を紙に書いてみてほしい。家賃、光熱費、おむつ、保険。私はそれを一度もやってなかった。
年齢の開きが大きかった結婚と、その後の二十年
雄一さん、仮名。当時三十代半ばだった。離婚したあと、知らない番号から着信があり、折り返すと高校生の声だったという。相手は郊外の高校に通う十六歳だった。
電話のやりとりが続いて、それから会うようになりました。共通の話題はほとんどなかったです。
反対したのは、親のほうだった
交際を知った時点で、相手の親は強く反対している。
当然だと思います。逆の立場なら私もそうします。
結婚に前のめりだったのは相手のほうだったという。できないなら死ぬ、とまで言われ、親が折れて顔合わせになった。遠距離でもあり、結婚を前提にしなければ話が収まらない空気だったと彼は言う。
籍を入れてから二十年近く経つ。子どもが生まれてからは、会話の中心が育児と生活の段取りに移った。
好みが合うかどうかより、明日の予定をどう回すかの話になります。そこは年齢差と関係ない。
周囲の声が、二十年たっても消えない
続いていることをどう受け止めているのかを聞いた。
もう少し歳を重ねてからでもよかったんじゃないか、って、当時さんざん言われました。それが今も頭の片隅にあります。二十年たっても消えないです。
消えない理由は。
たぶん、私自身が答えを出せてないからだと思います。うまくいったから正しかった、とは言えない。あの速さは、あとから何度でも問い直されます。
十六歳の恋愛は熱量が強く、結婚の話まで一気に進みやすい。彼が繰り返したのは、その速度についてだった。
直感は当たった、と言う人が通った手続き
彩さん、仮名。十六歳のときに、知人に誘われた店で九つ上の相手を見て、この人と結婚すると思ったという。性格は正反対だった。一か月半で交際が始まり、入籍は二年後の予定だった。
その前に妊娠がわかって、十八で届けを出しました。
印鑑が必要だった、その一段
直感は当たったと今は言える、と彼女は話す。ただし当時を振り返る言葉は、そこだけ温度が違った。
学校と、親と、相手の仕事と、三つを同時に説得する日々でした。恋愛としては一直線だったんですよ。まっすぐだった。
結婚のほうは違った。
十六の自分では、届けが出せないんです。親の印鑑がいる。あの一段が、想像していたよりずっと重かった。好きだけでは紙が受理されない、っていうのを、あのとき初めて知りました。
三十年続いた人が言う、続いた理由
拓也さん、仮名。高校一年で出会った相手と、それ以外の恋愛をしたことがないという。二年の遠距離を挟んで二十歳で結婚し、そこから三十年近く同じ人と暮らしている。
恵まれた家じゃなかったんです。それを、疲れたね、って受け止めてもらえたのが始まりでした。
一途に見えると言うと、彼は笑って否定した。
失敗は何度もしてます。何度も。一途っていうのは、外から見た形の話です。
続いた理由を聞いた。返ってきた答えは、想像していたものと違った。
恋愛の気持ちじゃないです。離れなかった習慣。それだけだと思います。
十六の恋は初めてが多いぶん、記憶に深く残るとも彼は言った。
それが一生の相手になる人もいるし、熱だけ残って生活が続かない人もいます。うちがどっちだったのかは、まだわからないですよ。三十年たっても。
式に誰も行かなかった家
真由さん、仮名。彼女は当事者ではなく、家族の側として話してくれた。妹が高校を辞め、十七歳で三十代の相手と結婚している。
好きだから、主婦になるから、って繰り返してました。それ以外の説明はなかったです。
家の中の反応は割れていない。全員が反対した。
母は泣いて、父は黙りました。式には誰も行ってないです。私も行かなかった。それきり連絡が途絶えました。
昼間の空白
一年後、妹から短い連絡が届いた。離婚した、という一行だけだったという。
後から聞いたんですけど、昼間が長すぎたらしいんです。学校を辞めて、働いてもいなくて、相手は夜まで帰ってこない。その時間を埋めるものが何もなかった。
好きという理由は、その空白には効かなかった。
止められなかった自分
真由さんが今も抱えているのは、妹の結婚そのものではなかった。
止められなかった自分が残ってます。何を言っても無駄だと思って、途中から何も言わなくなったんです。あれが正しかったのか、いまだにわからない。
十六や十七の結婚は、本人の決意と、家族が式を拒むほどの決裂が、同じ家の中で同時に起きる。彼女の家では、その両方が半年のうちに進んだ。
十六歳で結婚できた世代と、できない世代
法律が十八歳に揃ってから、この話は世代で分かれるようになった。
美咲さんは、自分の娘との会話を教えてくれた。
うちの子に、私は十六で結婚したって言ったら、え、できるの、って聞かれました。できないよ、今は。私のときはできたの、って説明するのに時間がかかりました。
母親世代は、うちの頃は親の同意があれば届いた、と話す。今の高校生にとっては、そもそも結婚できない年齢だ。恋愛と家庭が、最初から別のものとして扱われている。
十六の恋は感情が強く動く時期に刻まれる、と振り返る人が何人かいた。だからこそ、その熱を結婚の理由にすると、数年後に判断材料が足りなかったと自分を責めることになる。美咲さんの言葉が、そこに一番近かった。
検索してここまで来た人が、確かめたいこと
今は何歳から結婚できるのか
男女とも満十八歳。成人年齢も十八歳に下がったため、親の同意は不要になっている。
十六歳での結婚は、いつまで可能だったのか
改正法が施行されたのは二〇二二年の四月一日。それまでは女性のみ十六歳から、親の同意を条件に婚姻届が出せた。施行の時点ですでに十六歳以上だった女性については、経過措置が置かれている。
当時、一番の壁は何だったのか
話を聞いた範囲では、法律ではなく親の署名だった。彩さんは三方向の説得に追われ、真由さんの妹は家族全員の反対を押し切っている。同意という一語が、実際には家の中の交渉を丸ごと指していた。
続いた人と続かなかった人で、何が違ったのか
判定できるほどの人数には会っていない。ただ、続いている人が挙げたのは感情ではなかった。拓也さんは習慣と言い、雄一さんは生活の段取りと言った。続かなかった側の話に出てきたのは、昼間の空白と、家計の数字だった。
今その状況にいる人に、何が言えるのか
美咲さんの紙に書いてみてほしいという一言以外、誰も助言らしい助言をしなかった。全員が、当時の自分は聞かなかったと思う、と言ったからだ。
台所に置かれた紙
帰り際、美咲さんは冷蔵庫に貼ってある紙を指した。家計の内訳が手書きで並んでいる。
これ、二年前から書いてます。三十を過ぎてやっと始めました。十六のときにこれを書いてたら、何か変わってたのかなって思うことがあります。
変わっていたと思いますか、と聞いた。彼女は少し黙ってから答えた。
変わってないと思います。あの頃の私、たぶん書いても読まなかったので。
洗濯機がまた終了音を鳴らした。彼女は立ち上がって、それを止めに行った。戻ってくるとき、給食袋を三つとも棚の上へ移した。子どもたちが帰ってくるまで、あと一時間ほどあると言っていた。数字の十六はもう婚姻の入口ではない。残っているのは、その年齢で恋愛が家庭に直結してしまった人たちの、まだ終わっていない後日談のほうだ。