行き先が決まらないまま、友達の家、ネットカフェ、公園。候補は出てくるのに、どれもしっくりこない。当然だ。本当に探しているのは場所じゃない。実際に家を出た九人に会って、最初に着いた場所と、そこで何時間もったかを聞いた。
三月の神戸。海沿いの公園で、四十一歳のカズヤさんが二十七年ぶりに同じベンチを探していた。見つからない。改修されたらしい。彼は少し笑って、この辺だったはずなんだけどな、と言った。風が強い。手すりが錆びている。当時は中学二年生で、愛知の家から電車を乗り継いでここまで来た。
行き先は、選んだのではなく、切符が続いた先
十四歳が愛知から神戸まで行った日
なぜ神戸だったんですか。
「意味ないです。ほんとに。乗り換え案内で出てきた方に乗っただけ。西に行けば暖かいかなくらいの感覚で」
学校がつらくて、教室に入れない日が続いていた。ある朝、制服のまま鞄に着替えを二枚だけ入れて出た。所持金は八千円ちょっと。
「電車の中はすごく楽しかったんですよ。窓の外が知らない景色になっていくのが。あ、俺いま逃げ切ってるって思ってた」
着いてからは。
「やることがない。それだけ」
夕方五時にはもう手持ち無沙汰だったという。金は減らしたくないから店に入れない。座れる場所を探して、公園に行き着いた。
探していたのは場所ではなかった
九人分の話を並べて、いちばん引っかかったのはここだ。誰も行き先をきちんと選んでいない。切符が続いた方角、友達の中でいちばん親が緩そうな家、駅から見えた看板。判断としては雑すぎる。
かわりに全員が異様に鮮明に覚えていることがあった。家を出た瞬間、自分がいなくなった部屋を想像していたという話だ。
カズヤさんは、母親が夕飯の時間に自分の席を見る場面を、電車の中で何度も再生していた。高校二年で親と大喧嘩して友達の家に行ったマユさんは、玄関の鍵を閉めながら、朝これに気づいた親がどんな顔をするかを考えていたと言う。
「行き先を考えてる時間より、そっちの方が長かったかもしれない」
家出は移動ではない。自分の不在が家にどう映るかを確かめる実験で、目的地はその実験に必要な最低限の座標にすぎない。だから雑になる。中学三年で自転車に乗り、テントも持たずに東京方面を目指して結局千葉の親戚宅に着いた人も、目的地は最後まで決まっていなかった。
自由は一晩しかもたない
寒さは、時刻表どおりに来る
カズヤさんの野宿は二晩だった。
「一晩目は平気なんです。むしろ興奮してる。二晩目、日が落ちた瞬間に全部きた。寒いっていうか、痛い。あと、無音が怖い」
何が怖かったんですか。
「誰も俺を探してないんじゃないかって思ったこと」
彼は二日目の夜十時過ぎに公衆電話から家に電話した。母親が出て、三秒黙って、それから迎えに行くと言った。父親が車で来たのは翌朝の四時。
「車の中でも何も聞かれなかった。それが逆にきつくて」
同じ二晩目の壁を、ほぼ全員が口にした。プチ家出を一週間したという二十九歳のリカさんですら、実際に楽しかったのは最初の二日だと言い切る。妹たちの世話に疲れて一日だけと決めて出た人は、夜になった時点で寂しくなって早めに帰宅している。
帰りたいのではなく、口実がほしい
ここが本題だと思う。
九人のうち七人が、帰る前の段階でとっくに帰りたくなっていた。にもかかわらず自分から戻った人は少ない。マユさんの場合は、翌朝に警察が友達の家を訪ねてきた。親が届けを出していたからだ。
「正直、助かったって思いました。あの警察官が来なかったら、私あと何日あの家の居間で気まずくしてたか」
自分の意思で戻ると、負けになる。あれだけ啖呵を切って出てきた手前、何もなかった顔で玄関を開けられない。だから外部からの介入を待つ。警察、友達の親、迎えの車。それは強制ではなく、免罪符として機能している。
戻る理由がないから戻れないのではない。戻る言い訳がないから戻れない。
実際に泊まった人が、その場所について言ったこと
友達の家は、翌朝には見つかる
マユさんはキャリーケースを引いて夜十一時に友達の家に着いた。友達の家族は快く泊めてくれた。警察が来たのは翌朝の八時前だ。
「親が本気で探したら、真っ先に来る場所なんですよね。よく考えたらそう」
その日のうちに話し合いになり、帰宅した。彼女が今も気にしているのは、巻き込んだ側のことだという。
「うちの親が友達のお母さんに謝ってて。あれが一番いたたまれなかった」
未成年は、ネットカフェには泊まれない
ネットカフェを挙げた人は複数いた。ただし全員が成人だ。
夜中にリビングで大きなゴキブリを見てパニックになり、財布とスマホだけ持って飛び出した三十三歳のアオイさんは、そのまま近くの店に入って朝まで個室にいた。シャワーもある。食事もできる。安い。
「便利ではあるんです。でも二日目には息が詰まった。窓がないから今が何時かわからなくなる」
彼女は数日後に業者を入れてから帰宅した。
未成年が同じ選択をしようとしても、まず入れない。日本のネットカフェは入会時に本人確認書類が要るし、各地の条例で十八歳未満の深夜利用は認められていない。年齢を偽って入ろうとする行為そのものが、後々自分の立場を悪くする。カズヤさんが公園を選んだのは、当時この事実を知っていたからではなく、単に他に思いつかなかったからだった。
屋根がない場所を選ぶと、翌日の判断力が落ちる
野宿を経験した二人の証言で一致していたのは、寒さより思考の鈍りだ。カズヤさんは二日目の午後、自分がどこに向かっているのか本気で思い出せなくなった。
「頭が動かないんですよ。眠いとかじゃなくて、考えが最後まで続かない。あの状態で誰かに優しくされてたら、たぶんついていってた」
彼はそう言って、しばらく海の方を見ていた。
大人の家出も、構造は変わらない
結婚生活が行き詰まり、ある夜に出ていけと言われた三十八歳のトモミさんは、とりあえずネットカフェで一泊した。翌日からはそこを拠点に会社へ通い、少しずつ荷物を運び出して、最終的に実家に戻る決断をした。
「緊急避難としてはちょうどよかった。でもあれは、次を決めるまでの待合室です。住む場所じゃない」
親に言い出せずビジネスホテルに一泊しただけで帰った人もいる。彼女が買ったのは宿ではなく、誰にも話しかけられない八時間だった。
行き先の質は変わっても、やっていることは十四歳と同じだ。自分がいない状態を一度つくって、それを外から眺める。
出るしかない事情があるなら、行き先の前に窓口がある
ここまで書いてきて、どうしても付け加えておきたいことがある。
家が安全でないから出るのだとしたら、野宿もネットカフェも解決にならない。未成年なら児童相談所の相談専用ダイヤルが0120から189783、夜中でもつながる24時間子供SOSダイヤルが0120から078310。学校や家庭のことを匿名で話せる。危険だと判断されれば一時保護という形で、正式に安全な場所に移れる。無断で家を出るより、この経路の方が結果として自由に近づく。
配偶者からの暴力で行き場を失っているなら、各地の配偶者暴力相談支援センターやDV相談プラスが同じ役割を持つ。
そして、これだけは書いておく。泊めてくれるという知らない大人のところへ行くのは、九人の誰も選ばなかった選択肢だ。カズヤさんが言った、頭が動かない状態で優しくされたらついていっただろうという一言が、そのまま理由になる。判断力が落ちきったところを狙う人間は実在する。
二十七年経っても、彼は答えを持っていない
カズヤさんは今、自分の子どもが当時の自分と同じ歳になっている。
「同じことをされたらどうするか、ずっと考えてるんですけど、わからないんですよ。行くなとは言えない。だってあのとき家にいたら、俺はもっと壊れてた気もするので」
じゃあ、あの二晩は必要だったと。
「そうは言いたくない。ただ、無駄だったとも言えない」
彼はそこで言葉を切って、砂の混じった手すりを軽く叩いた。
「探してたのは、たぶん神戸じゃなかった。それだけはわかる」
風向きが変わって、話し声が聞き取りにくくなった。ベンチの跡地には低い植え込みが植わっていて、もう誰も座れないようになっている。