抱き上げた瞬間、思った。この人を手放したくないって。
言葉にしたことは一度もない。でもあの時、腕の中に感じた重さと体温が、何かを決定的に変えた。守るとか、大切にするとか、そういう言葉を使いたくなったのはあの夜だけだ。
お姫様抱っこをした男性たちに話を聞いた。笑いながら語るけど、その奥には、誰にも言えなかった本音があった。
軽いなと思った瞬間、胸が熱くなった理由
代々木公園。夜の遊歩道で、拓也は1年付き合った彼女を抱き上げた。29歳、IT企業勤務。彼女が足が痛いと小さく呟いた時、気づいたら動いていた。
「考える前に、腕が動いてたんです。あ、抱き上げようって」
彼女は最初、驚いた顔をした。それからすぐに、首に腕を回してきた。
「軽いなって思ったんですよ。で、この重さが彼女の全部なんだって気づいた瞬間、急に胸が熱くなって」
拓也は歩きながら、奇妙な充足感を覚えた。
「こんなに近くにいるのに、もっと近くに感じたんです。普段のデートとは全然違う感覚で。この子の安全を、今この瞬間だけ俺が全部引き受けてるって」
下ろした後、彼女が笑った。その笑顔を見て、また思った。もう一回やりたいって。
「自分でも、なんでそう思うのか最初は分からなかったんです。でも考えてみたら、普段って彼女を守れてる実感って、あまりないんですよね。隣を歩いてるだけだから」
拓也は続けた。
「抱き上げてる間だけ、彼女が完全に俺に委ねてくれてる。その感覚が、思ったより深いところに刺さった」
保護欲という本能が地表に出る瞬間
男性の保護欲は、普段の生活の中では眠っている。隣を歩いているだけでは、守っている実感を得にくい。お姫様抱っこは、その眠った本能を一気に呼び覚ます行為だ。
拓也の友人、大輔は33歳。彼も同じ感覚を経験した。
「デートの夜、突然彼女を抱き上げてみたんです。特に理由もなく、なんとなく」
彼女が驚いた表情から、すぐに安心した顔に変わった。
「その表情の変化が、すごく良くて。俺のことを、本当に信頼してくれてるんだって分かって。ただそれだけで、男としての自信が一気に上がった」
大輔は少し照れながら言った。
「格好つけたくて抱き上げたつもりが、逆に自分の方が心動かされてたんです」
重いかもという不安と、首に回された手の安堵
吉祥寺の公園。夜のベンチで、翔平は初めてお姫様抱っこをした日を笑いながら思い出した。23歳、大学4年生。彼女が靴ずれで歩けなくなったあの夜。
「失敗したら最悪だって思ってたんです。重くて下ろさなきゃいけなくなったり、よろけたりしたら」
でも抱き上げてみると、彼女は首に腕を回して、安心した表情を見せた。
「その顔見た瞬間、不安が全部消えて。ヒーローになれた気がして、笑えるくらい嬉しかった」
翔平は歩きながら気づいたことがある。彼女の体がダランとしていると、腕に負担がかかる。でも彼女が少し上体を寄せてくれると、不思議なくらい楽になる。
「抱っこって、こっちが一方的にやるんじゃなくて、彼女が上手に身を預けてくれて初めて成立するんですよ。それ分かった時、お互いの信頼があってできる行為なんだって思えて」
翔平は少し遠くを見た。
「子供の頃、ヒーローものとか好きで。姫を守るシーンに憧れてたんですよ。それが現実になった感じがして、バカみたいだけど本気で胸が熱くなった」
22歳が感じたヒーロー願望の正体
少年が抱いていた憧れは、案外消えない。守りたいという感情は、年齢を重ねても形を変えて残っている。お姫様抱っこという行為は、そのロマンを現実に引き寄せる数少ない機会だ。
翔平の先輩、亮太は26歳。彼は逆に、彼女から抱っこをせがまれた側だ。
「お願いされた時、少し戸惑ったんです。こんな機会、ちゃんとできるかなって」
でも実際に抱き上げると、思わぬ感情が湧いてきた。
「彼女の体がぴったり腕に収まって、恥ずかしそうに顔を隠した瞬間、なんか俺だけのものって感じがして。独占欲って言ったら重いけど、もっと甘やかしてあげたいって、自然に思えて」
結婚5年目に蘇った、忘れていた感覚
京都の旅館。夜、浩司は妻を寝室まで抱き上げた。36歳、会社員。結婚してから、こういう行為は減っていた。
「妻、その頃少し体重増えてた時期で。だからこそ、軽々と抱き上げてあげたかったんですよ」
妻は照れた。久しぶりだねって、小さく笑った。
「その瞬間、ああ俺はまだこの人を守れる男なんだって思えて。くだらないと言えばくだらないけど、そういう実感って日常生活の中で消えがちで」
浩司は続けた。
「仕事して、家に帰って、ご飯食べて寝る。そういう毎日の中で、妻に対しての愛情が薄れてるわけじゃないけど、改めて確認する機会がないんですよね。あの瞬間、久しぶりに確認できた」
旅行から帰った後も、妻から疲れた夜に抱っこしてとせがまれることが増えた。
「嬉しいんですよ、頼まれると。大変でも、嬉しいって思う自分がいる」
日常の中で愛情を再起動させる行為
長い関係になるほど、愛情は空気のようになる。あって当たり前で、意識されない。お姫様抱っこは、その空気を一瞬だけ可視化する。
浩司の友人、慎太郎は41歳、自営業。妻が風邪で動けない夜、リビングからベッドまで運んだ経験がある。
「妻の体を腕に感じて、この人を一生支えるんだって、急に実感として湧いてきたんです。言葉で言えばいつでも言えるけど、体で感じると全然違う」
慎太郎は普段、仕事のことで頭がいっぱいだ。でもあの夜だけは違った。
「抱いてる間、仕事のこと何も考えなかったんです。珍しいくらい。ただ目の前の人を、ちゃんと部屋まで運ぶことだけ考えてた」
子供を抱えながら妻も運んだ夜の話
埼玉の自宅。産後の疲労で妻が動けなくなった夜、和也は娘を片腕に、妻をもう片腕に抱えようとした。39歳、公務員。
「無理でした、物理的に。でも妻をベッドまで運んで、娘のそばに寝かせて、その瞬間、家族全体を守ってるって感じがした」
和也はそれを照れくさそうに語る。
「男らしいとか、そういう言葉を使うのが恥ずかしい年齢なんですけど、あの夜だけは素直にそう思えて。俺がいれば大丈夫って」
結婚当初とは違う種類の感情だと、和也は言う。
「若い頃のお姫様抱っこは、ロマンチックなシチュエーションを作りたいって感じだったんです。でも今は違う。日常の延長線上で、当たり前に守りたいって思える。その変化が、自分でも面白いなって」
年齢を重ねて変わる保護欲の質
20代のお姫様抱っこと、40代のそれは、同じ行為でも意味が違う。若い頃は証明したい気持ちが強い。年齢を重ねると、証明より確認になる。俺はまだここにいるという、自分への確認でもある。
和也の同僚、誠は44歳。子供が中学生になった今も、時々妻を抱き上げる。
「子供に見られて笑われるんですよ。でも妻が嬉しそうにするから、やめられない」
誠は静かに言った。
「大袈裟に聞こえるかもしれないけど、抱き上げる時って、この人の重さを俺が引き受けてるって感覚があるんです。それが嬉しい。ただそれだけで」
抱き下ろした後に訪れる静かな満足感
品川のオフィス。昼休み、拓也はお姫様抱っこの後に感じる特殊な感情を言語化しようとした。
下ろした後が、一番面白いんですよ心理的に。達成感とも違う、満足感とも少し違う。
彼女の笑顔を見る。自分の腕を見る。さっきまでこの腕の中にいたんだと思う。
「その感覚がしばらく続くんです。余韻みたいなものが。抱いてた時間って実際は数分なんですけど、記憶としては長く残る気がして」
拓也は少し考えてから続けた。
「守れた、って気持ちが残るんですよ。大げさに聞こえるかもしれないけど、本当にそういう感覚。それが気持ちいいから、また抱き上げたくなる」
拓也は今も、彼女が少し疲れた顔をすると抱き上げたくなる。浩司は旅行のたびに、妻をお姫様抱っこする。翔平は彼女の安心した顔を思い出す。慎太郎は、妻を抱いた夜の感覚を、言葉にできないまま大切にしている。
お姫様抱っこをした男性たちが共通して語るのは、守れたという感覚の話だ。力を誇示したいわけじゃない。ヒーローになりたいわけでもない。ただ、腕の中に感じた重さと体温が、何かをリセットして、何かを確認させてくれる。
誠は最後にこう言った。
「抱き上げる理由なんて、本当はいらないんですよ。ただ、したくなる瞬間がある。それが、好きってことなんじゃないですかね」
彼はコーヒーを飲み干し、席を立った。昼休みの終わりを告げるアラームが鳴っていた。日常が戻ってくる。でも腕の記憶は、しばらく残る。