毎朝七時半、向かいのホームに、その人は立っていた。三十代の前半くらい。派手ではない、穏やかな顔立ちの女性だった。俺が気づいたのは、彼女がこちらを見ていたからだ。線路を挟んだ向こうから、まっすぐに。
目が合う。すると彼女は、すっと視線を落とす。二、三分すると、また見ている。こちらが気づくと、また外す。この往復が、ほぼ毎朝、繰り返された。
線路の幅は、たぶん十メートルもない。でも、朝の通勤時間にあの幅を渡る方法はない。電車が来れば、俺は乗って、彼女は反対方向へ消える。見えるのに、近づけない。その距離のことを、俺は毎朝、考えるようになった。
目が合って、外して、また合う。その往復だけが続いた
最初は、気のせいだと思った。たまたま視線の先に俺がいるだけだろう、と。でも三日、四日と続くと、偶然では説明がつかなくなる。彼女は、明らかに俺を見ていた。
面白いもので、一度そう気づくと、その十メートルが、一日でいちばん濃い時間になった。前の晩に嫌なことがあっても、朝、向かいのホームに彼女の姿を探している自分がいる。今日はいるか。今日もこちらを見るか。改札を抜けながら、心拍が少し上がるのが分かった。
俺の生活は、退屈だった。会社と家の往復で、心が動く瞬間なんて、ほとんどない。そこへ、この視線が差し込んできた。だから俺は、その意味を、必死に読もうとした。
俺が本当に知りたかったのは、彼女の気持ちじゃなかった
彼女は何を考えているのか。好意なのか。それとも、俺の顔に何かついているのか。毎朝そればかり考えていた。でも、あとになって気づいた。俺が本当に知りたかったのは、彼女の気持ちじゃなかった。
あの視線を、自分の値打ちを測る道具にしていた
正直に書く。俺は、人から見られることに慣れていない。学生の頃から、誰かの視線を集めるタイプではなかった。街を歩いても、誰も俺を見ない。透明な人間として、三十年近く生きてきた。
そこに、毎朝こちらを見てくる人が現れた。俺が知りたかったのは、彼女がどんな人かではない。俺は、見るに値する人間なのか。その問いの答えを、彼女の目に探していた。彼女がこちらを見るたび、俺という存在が、ほんの少し濃くなる気がした。彼女の視線を借りて、俺は自分の輪郭を確かめていた。相手を見ているようで、俺はずっと、自分のことしか考えていなかった。
距離があるから、何も起きなくて済んでいた
三ヶ月、俺は一度も声をかけなかった。かけられなかった、というより、かけたくなかったのかもしれない。
近づいた瞬間に、あの心地よさは壊れる
離れた視線には、都合のいいところがある。何の責任も生じない。見て、見られて、それだけ。近づかないかぎり、断られることもない。彼女が本当は俺に興味などなくても、その事実を突きつけられずに済む。距離が、俺を守っていた。
もし十メートルを渡って声をかけて、彼女が怪訝な顔をしたら。あるいは、ただの人違いか気のせいだったと分かったら。あの毎朝の甘い時間は、一瞬で消える。俺は、確かめることより、確かめないまま夢を見ているほうを選んでいた。あの視線が心地よかったのは、意味が確定していないからだ。確定した瞬間、たぶん、しぼむ。人が距離を保つのは、近づけないからじゃない。近づいたら終わってしまうと、どこかで知っているからだ。
同じ視線でも、男が送ると意味が反転する
一つ、後ろめたいことがあった。彼女が俺を見るのは、少しミステリアスで、嬉しい出来事として処理できる。でも、俺が彼女を見返しているのは、どうなのか。
こちらが見返すことの、後ろめたさ
もし逆だったら。もし俺が毎朝、向かいのホームの女性をじっと見つめていたら。それは、たぶん、恐怖として受け取られる。気持ち悪い、怖い、と。同じ距離、同じ視線でも、送り手が男か女かで、意味が丸ごと反転する。
彼女の視線を好意かもと解釈できる一方で、俺の視線は、下手をすれば加害になる。それに気づいてから、見返すたびに、少し身がすくんだ。俺は、見られて喜びながら、同時に、見ることの後ろめたさを抱えていた。この非対称だけは、俺にはどうにもできない。
一度だけ、同じ車両になった
三ヶ月目のある朝、ダイヤが乱れて、俺と彼女は、初めて同じ車両に乗り合わせた。十メートルの距離が、一メートルまで縮まった。
近くで見た横顔は、思っていたより普通だった
心臓が跳ねた。今なら声をかけられる。頭のなかで何度も練習した最初の一言があったはずなのに、いざその距離になると、一文字も出てこない。彼女も、こちらを見なかった。あんなに見てきたのに、隣に立った途端、彼女はずっとスマホに目を落としていた。
近くで見た横顔は、遠くから見ていたときより、ずっと普通だった。特別な人ではなく、ただの、朝の眠そうな通勤客だった。俺が三ヶ月かけて育てた物語の大きさに対して、実物は、あまりに等身大だった。二駅先で、彼女は降りた。目も合わなかった。あの近さは、十メートルの距離より、ずっと遠かった。
俺自身が、誰かをそうやって見ていたことがある
家に帰ってから、ふと思い出した。俺にも、覚えがある。
見られる側は、見る側の物語を勝手に受け取る
学生の頃、好きな人がいて、話しかける勇気がなくて、いつも離れた席から、その人を見ていた。目が合いそうになると、慌てて外した。あの頃の俺の視線には、はっきりとした意味があった。好意だ。
でも、見られていた側は、それをどう受け取っていたか。分からない。怖がっていたかもしれないし、気づいてすらいなかったかもしれない。数年後にその人と少し話したとき、あの頃よく見てたよね、と笑われた。俺の視線の意味は、結局、俺にしか分からなかった。
そこで、はたと気づいた。向かいのホームの彼女の視線も、同じだ。あの目の意味は、彼女にしか分からない。俺がどれだけ読もうとしても、読めているのは、彼女の気持ちじゃない。俺自身の願望だ。見られる側は、見る側の物語を、勝手に受け取って、勝手に翻訳する。俺は三ヶ月、彼女の視線に、自分の飢えを上書きして読んでいただけだった。
ある日から、彼女は現れなくなった
季節が変わる頃、彼女は、向かいのホームに立たなくなった。
最初は、たまたまだと思った。一日、二日。一週間経っても、二週間経っても、彼女の姿はない。異動か、引っ越しか、それとも時間がずれただけか。理由は、当然、分からない。確かめる方法も、もう、ない。
俺は、妙な喪失感を抱えた。付き合ったわけでも、話したわけでもない。名前も知らない。何ひとつ、起きなかった。なのに、朝のホームに、ぽっかり穴が空いたような感覚があった。失うも何も、最初から、何も持っていなかったのに。
あの視線が好意だったのか、ただの偶然だったのか、俺の顔に何かついていただけなのか、俺はいまでも決めかねている。近づいて確かめておけば、答えは出たはずだ。でも、たぶん、確かめなくてよかったのだと思う。確かめていたら、あれは、なんでもない朝の一場面に縮んでいた。確かめなかったから、あの三ヶ月は、いまも意味の決まらないまま、俺のなかに残っている。
今でも、電車を待つとき、俺は向かいのホームを、つい見てしまう。誰も立っていない。当たり前だ。それでも、一応、探している。あの視線が何だったのかは、この先も、分からないままだろう。分からないままにしておくのが、いちばんいいような気も、少しだけ、している。