三十八になるまで、デートで助手席に座ったことがなかった。
理由は単純で、必ず俺が運転していたからだ。迎えに行く。乗せる。送る。それが当たり前だと思っていたし、そのほうが格好がつくとも思っていた。付き合って四ヶ月の彼女が、今度は私の車で行こうよ、と言い出したとき、俺は一瞬、返事に詰まった。
待ち合わせ場所に、白いコンパクトカーが停まった。助手席のドアに手をかけるまで、俺は半秒だけ迷った。あの半秒のことを、そのあと何度も考えることになる。
鍵を回した三十秒で、俺は彼女を知りすぎた
座った瞬間に思ったのは、狭い、だった。俺の車より一回り小さい。膝の位置が高くて、足を置く場所を探した。それから、匂い。柔軟剤なのか芳香剤なのか分からないが、甘い匂いが確実にあった。
勝手に流れ出す音楽が、いちばん正直だった
彼女が鍵を回した。エンジンがかかった瞬間、音楽が流れ始めた。彼女が選んだわけじゃない。前回、彼女が一人で運転していたときの続きが、そのまま鳴っただけだ。
俺の知らない曲だった。しかも、俺の前で好きだと言っていたジャンルとは、まるで違う。彼女は、あ、と言って音量を少し下げた。
あの数秒が、四ヶ月分のデートより雄弁だった。人が誰かに見せる自分は、たいてい編集されている。服も、店の選び方も、話す内容も。でも、エンジンをかけた瞬間に流れ出す音楽だけは、編集が間に合わない。彼女が一人でいるときの彼女が、そこに数秒だけ、剥き出しで転がっていた。
掃除しても、隠しきれないものがある
車内は綺麗だった。乗せる前に片づけたんだろうと思う。それでも、隠しきれないものはある。
ドアポケットに、駐車券が何枚か挟まっていた。ダッシュボードの隅に、目薬。走行距離のメーターは、思っていたよりずっと伸びていた。この人はよく運転する人なんだ、と分かった。部屋に招かれるより、たぶん情報量が多い。部屋は片づける時間があるが、車は生活がそのまま乗っている。
そして俺は、それを読み取っている自分に、少し後ろめたくなった。乗せてもらった側が、相手の生活を勝手に採点している。
最初に浮かんだのは、感謝じゃなかった
走り出して五分。俺の右手は、ドアの上についている取っ手を握っていた。
無意識だった。気づいたときには、しっかり握っていた。彼女の運転が荒いわけじゃない。むしろ丁寧なほうだ。車線変更も、ブレーキも、俺より落ち着いていた。それでも、俺の手は勝手に何かを掴んでいた。
大丈夫かな、と思った自分が恥ずかしかった
正直に書く。乗って最初に湧いたのは、感謝じゃなくて値踏みだった。この人、運転うまいのかな、と。
言い訳の余地はない。同性の友人の車に乗ったとき、俺は一度もそんなことを考えなかった。相手が女性だというだけで、勝手に技術を疑った。しかも本人には一言も言っていないから、彼女はそれを知らない。俺の中だけで、静かに失礼なことをしていた。
怖かったのは、運転じゃなくて、握っていないことだ
もう少し掘ると、別のものが出てくる。
俺が怖がっていたのは、彼女の運転じゃない。自分がハンドルを握っていない、という状態そのものだった。速度も、車線も、いつ止まるかも、全部こちらの手を離れている。時速六十キロで走る鉄の箱の中で、俺は何ひとつ決められない。その落ち着かなさを、俺は彼女の技術の問題にすり替えていた。
不安の原因を、自分の内側ではなく相手の能力に貼りつける。これをやっている男は、たぶん俺だけじゃない。
運転席は、親切の形をした避難所だった
高速に乗ったあたりで、もっと嫌なことに気づいた。手持ち無沙汰なのだ。
やることが何もない。目線をどこに置けばいいのかも分からない。前を見ていればいいのか、彼女を見ればいいのか。窓の外を眺めるのも、話を聞いていないみたいで気になる。
ハンドルを握っていれば、会話から半分だけ抜けられる
そこで、はっきり分かった。俺はこれまで、運転という仕事を盾にしていた。
答えにくいことを聞かれたら、合流するから少し待って、と言えばいい。話が重くなってきたら、道を確認するふりができる。音楽も、温度も、休憩の場所も、全部こちらが決められる。相手のために運転しているつもりで、実際には、会話への参加率を自分で調整していた。
送り迎えは親切だ。それは間違いない。ただ、あの座席には、避難所としての機能もあった。俺は十数年、その避難所から一度も出ていなかった。
手が空いた瞬間、逃げ場がなくなった
助手席は逃げられない。物理的にも、会話的にも。
カフェなら、気まずくなれば会計をして立てる。電車でも降りられる。でも走行中の車は、目的地に着くまで降車できない。四十分と決まったら、四十分間、その箱の中に閉じ込められる。この強制力が、たぶん、車という空間の本質だ。
横に並んでいると、なぜか本当のことが言える
高速に入って二十分ほど過ぎた頃、俺は仕事の話をしていた。
その時期、転職するかどうかで迷っていた。誰にも言っていなかった。彼女にも黙っていた。かっこ悪いと思っていたからだ。それを、なぜかその日、順番もめちゃくちゃに喋っていた。
目を見なくていい、という構造
理由は、たぶん座席の配置にある。
向かい合っていない。二人とも前を向いている。彼女は前を見なければならないし、俺も前を見ていて不自然じゃない。目を合わせずに話し続けられる場所というのは、日常にほとんどない。カフェも、食事も、正面から見られる。
正面から見られていると、俺は言葉を選ぶ。相手の表情の変化に反応して、途中で言い方を変えてしまう。横並びだと、その修正が起きない。相手の顔が見えないぶん、頭の中にあるものが、そのまま口から出ていく。
途中、彼女が、道間違えたかも、と焦った。俺は、ゆっくりでいいよ、と言った。あの一言が、その日いちばん自然に出た言葉だった気がする。
女性が運転すると引く男は、何に引いているのか
こういう場面で不機嫌になる男がいる、という話はよく聞く。俺も、あの日の自分の反応次第では、そちら側になっていた可能性がある。
彼女に引いているんじゃない、役を失って動揺している
助手席で黙り込む男は、彼女の運転が嫌なわけじゃない。守る役、決める役、動かす役。それを一時的に取り上げられて、代わりの居場所を見つけられずに固まっている。
だから、女性の側が気にすることではない、と俺は思う。乗せた相手が急に無口になったなら、それはあなたの運転の評価ではなく、その男が自分の価値を役割でしか説明できない、というだけの話だ。ついでに書くと、その手のタイプは、ナビをやらせると復活する。役割を一つ渡すと、途端に喋り出す。安いものだ。俺のことだ。
気づいたのに、次も俺は自分の鍵を持って出た
到着して、彼女がエンジンを切った。音楽が途中で止まった。シートベルトを外すまでの数秒、二人とも黙っていた。
あの数秒のことを、いまでもたまに思い出す。何も起きていない。ただ、四十分前に助手席のドアに手をかけたときの自分と、降りようとしている自分が、少し違っていた。
それで俺が変わったかというと、変わっていない。次のデートも、その次も、俺は自分の車の鍵を持って家を出た。理由をつけるなら、そのほうが荷物を積みやすいとか、俺の車のほうが広いとか、いくらでも言える。全部後付けだ。運転席のほうが楽なのだ。楽というのは、快適という意味じゃない。隠れていられる、という意味で楽だ。
ただ、変わったことが一つだけある。言いにくいことを話す日は、俺のほうから、今日は運転してもらっていい、と頼むようになった。自分でも、ずるいやり方だと思う。避難所を降りたわけじゃなく、逃げられない箱を、都合よく使い始めただけだ。彼女はまだ、気づいていない。