好きだから抱きたいのだと信じたい側と、順番はそうとは限らないと知っている側がいる。抱きたい男性心理、たぶんスイッチの位置ではなく、その衝動が自分への感情とどれくらい連動しているかだ。六人に、その瞬間だけを切り出して話してもらった。答えは驚くほど揃わなかった。
聞き取りは深夜のファミレスと、昼のチェーン喫茶店に分かれた。夜の方が話が具体的になるのは、たぶん照明のせいだ。最初に来たタカシさんは、注文を済ませてから、これ書かれるんですよね、と一度確認した。
重みが肩に乗った瞬間に、頭が切り替わった
疲れた、と言われただけだった
三十歳のタカシさんが話したのは、付き合って数ヶ月の頃の夜道だ。
「彼女が急に、疲れた、って小さく言って。そのまま腕に体を預けてきたんです」
それだけですか。
「それだけです。ほんとに。ただ、あの人、普段は明るくて自立してるタイプなんですよ。仕事もできるし、弱音をあんまり吐かない。その人が、俺の前でだけ体重をかけてきた」
そのとき何が起きました。
「肩に乗った重みと、声のトーン。あの二つで頭がいっぱいになりました。抱きしめて離したくない、みたいな」
性的な感じでしたか。
「混ざってます。ただ、それだけじゃなかった。守ってやりたいとか、俺にだけ甘えててほしいとか。そっちの方が先に来てました」
家に着くまでの十五分ほど、彼は同じことを考え続けたという。
「このまま朝まで抱いていたいって、何回も思ってました。今から考えると、彼女が距離を詰めてきた仕草が、勝手にスイッチを押してた」
弱さを見せられると、なぜ独占の方へ向かうのか
タカシさんの話で引っかかるのは、彼が反応したのが彼女の魅力ではなく、彼女が普段は見せない状態だったという点だ。
普段は自立している。その人が自分の前でだけ崩れる。ここで発生しているのは、他の誰も見ていない状態を渡されたという事実の確認だ。
限定という条件が付いた瞬間に、守りたいという感情と、自分のものだという感情が同時に立ち上がる。この二つは本人にも分離できない。だから彼らは、守りたいと言いながら抱きたいと感じ、それを矛盾だと思っていない。
順番は、必ずしも好きが先ではない
照れた笑顔ひとつで
二十七歳のユウキさんは、もっと単純な入口の話をした。
友人の紹介で会った女性と、数回食事をした。深い話はしていない。
「ある日、その人がちょっと照れた笑い方をしたんです。それだけで、あ、抱きたいって強く思った」
会話の内容とは関係なく。
「関係ないです。肌がきれいだなとか、仕草が柔らかいなとか、そういう視覚の情報だけ。頭では、まだ関係が浅いのにって抑えようとしてたんですけど、体の反応が先に出てた」
そこで彼は少し言葉を選んだ。
「これ、自分でも困ったんですよ。好意があるから抱きたいのか、抱きたいだけなのか、判別がつかなくて」
判別しようとしたんですね。
「しました。ただ結論は出なかったです。あの感情が本気だったのか、単なる欲だったのか、いまだにわからない。結局、関係が深くなる前に連絡が途絶えたので、答え合わせもできてない」
欲求が先に来ると、本人も混乱している
二十九歳のリョウさんは、順番の話を最も明確に語った。
彼女と映画を見た後、カフェで向かい合っていた。
「テーブルの上で、無意識に俺の手に触れてくるとか、視線が長く合うようになるとか、髪をいじる回数が増えるとか。特別な言葉はゼロです」
そこで。
「いける、って思いました。あの感覚、言語化しにくいんですけど。沈黙が気まずくなくなった瞬間があって、そこからです」
抱きたいという言葉が頭に出たのは。
「そのあとです。順番でいうと、彼女が俺を男として見始めた気配を感じて、それを受けて欲求が形になった」
彼はそのあとを、こう分析した。
「好きだから抱きたい、じゃなかったんですよ。抱きたいが先に来て、そのあとで気持ちが深くなった。俺の場合はそうでした」
それは軽いということですか。
「そう思われるだろうなとは思います。でも、後から来た方の感情も本物なんですよ。順番が逆なだけで」
三十七歳のヒロシさんも同じ話を、別の角度から言った。
「可愛いと思った瞬間、独占したくなった瞬間、視覚的に強く惹かれた瞬間。だいたいこの三つです。好意から欲が生まれることもあるけど、欲が先で気持ちが後からついてくるのも普通にある」
じゃあ区別は。
「区別は、そこじゃ付かないです。ただの欲で終わるか、大事にしたいに変わるかは、そのあとの相手の反応と関係の作り方次第。始まりの形では決まらない」
感じても、動かない人がいる
三十二歳のミノルさんの話は、この取材で唯一、何も起きなかった記録だ。
長年の友人だった女性がいる。ある夜、彼女が悩みを相談してきて、深夜まで二人で話した。
「弱ってる姿を見て、守りたい気持ちが湧いたんです。それと同時に、性的な欲求も来た。二つ同時に」
タカシさんと同じ形ですね。
「たぶん同じです。違うのは、彼女が完全に友達として俺を頼ってたことです。それが顔を見ればわかる」
どうしました。
「押し殺しました。友達だからこそ余計に抑えなきゃいけないって、その場で自分に言い聞かせて」
うまくいきましたか。
「行動としては。ただ、そのあとしばらく会うのが気まずくなりました。向こうは何も知らないのに、こっちが勝手に後ろめたい」
彼は少し笑って続けた。
「よく、男は我慢できないみたいな言い方をされるじゃないですか。あれ、半分正しくて半分違う。感じることは止められないです。でも、動くかどうかは別の判断なんですよ。俺は関係を優先した。それだけ」
この差は重要だと思う。衝動が湧いたことと、それを行動に移すことは、同じ人間の中でも別の回路で処理されている。感じたという事実は、行動の予告ではない。
怒りと欲情が、同時に来た人
三十四歳のケンジさんの話だけ、質感がまったく違う。
妻の不倫が発覚した後の時期のことだ。
「発覚してしばらくは、怒りと虚しさしかなかったです。それは当然として」
それだけではなかった。
「まだ抱きたいっていう気持ちが、消えてなかったんですよ。これが自分で理解できなかった」
未練ということですか。
「違うと思います。もっと泥臭いやつです。他人に踏みにじられた場所を、上書きして取り戻したいっていう」
彼はそこで、しばらく黙った。
「妻の体を思い浮かべると、怒りと欲情が同時に来るんです。理性では、もう終わりだって判断してるのに、体が反応する。あれ、自分に嫌悪感すら覚えました」
なぜだと思いますか。
「プライドですね、たぶん。傷ついたプライドを、歪んだ形で回復しようとしてた。俺のものだって再確認したかった。愛情と支配欲が、自分でも分けられないくらい絡んでたんだと思います」
彼が最後に言ったことを、そのまま残す。
「男のプライドと欲は、思ってる以上に絡み合ってます。あれを愛だと言い張るのは無理がある。でも、まったく愛じゃないとも言い切れなかった。そこが気持ち悪かった」
六人の話が、最後まで一つにならなかった
一通り聞き終えて、私は結論を作れなかった。
タカシさんは限定された弱さに反応した。ユウキさんは視覚だけで来た。リョウさんは相手の意識の変化を受けて発火した。ミノルさんは同じ衝動を持ったまま何もしなかった。ケンジさんに至っては、愛情の残骸と支配欲の見分けがついていない。
共通しているのは、全員が事後に自分の感情を分析しようとして、うまくいっていないことだ。
ヒロシさんの言った、始まりの形では決まらない、という一言が、たぶんいちばん正直な答えに近い。抱きたいと思われたことは、大事にされる保証にも、軽く扱われる証拠にもならない。判定材料としては弱すぎる。
タカシさんに最後の質問をした。あの夜のことを、彼女に話したことはありますか。
「ないです」
なぜ。
「話したら、たぶん違うものになる気がして。あれ、俺が勝手に受け取っただけのものなので」
彼はコーヒーの残りを飲み干して、伝票を持って立ち上がった。店を出るとき、外はもう白み始めていた。