二十七歳の三月、口座に百六万四千三百二十円あった。細かい数字まで覚えているのは、深夜にその画面を何度も見ていたからだ。
寝る前にアプリを開く。残高を見る。閉じる。しばらくして、また開く。増えているわけがないのに、数字が変わっていないことを確かめて、少しだけ安心して、また不安になる。あの頃の私は、それを毎晩やっていた。
手取りは十八万円ほど。家賃が六万円で、光熱費と通信費と食費を払うと、ほとんど残らない。引っ越しの初期費用で貯金を使い果たしていて、そこから増える気配がなかった。
十万円が怖いのは、金額じゃなくて日数に直したとき
あの頃、十万円という数字そのものが怖かったわけじゃない。怖くなるのは、それを日数に換算した瞬間だった。
家賃六万円の私にとって、あれは一ヶ月半だった
明日から収入がゼロになったとして、私はどれくらい生きられるか。家賃六万円に、光熱費と通信費と食費を足すと、月に十二万から十三万は要る。十万円では、一ヶ月ももたない。
つまり私が持っていたのは、十万円という金額ではなく、二十五日分の生活だった。この換算をやったとき、背中が冷えた。二十五日。三週間と少し。それが私の全財産の正体だった。
同じ十万円でも、人によって怖さがまるで違う
ここが大事なところだと思う。家賃四万円で実家の近くに住んでいる人の十万円と、家賃八万円で頼れる人が近くにいない私の十万円は、同じ数字でありながら、まったく別の重さを持つ。
だから、十万円が少ないかどうかという問いには、金額だけでは答えが出ない。自分の生活費で割って、何日分かを出す。それが本当の残高になる。私はそれをやっていなかったから、漠然とした不安に飲まれていた。
平均貯金額を見て落ち込むのは、土俵を間違えている
夜中に検索していたのは、他人の貯金額でもあった。同世代がいくら持っているのか。見るたびに落ち込んだ。
平均は、上にいる人が引き上げる
途中で気づいた。平均額というのは、一部のよく貯めている人が大きく押し上げる。だから半分より多くの人は、平均以下のところにいる。私が比べていたのは、真ん中の人ではなく、上に引っぱられた数字だった。
もうひとつ、その手の統計には実家暮らしの人も入っている。家賃を払っていない人と、毎月六万円を家賃に消している人を、同じ表の中で比べていた。勝てるわけがない。
同じくらいの人は、黙っているだけだった
貯金額は、誰も言わない。だから見えない。周りは全員ちゃんと貯めているように見える。実際は、言わないだけの人がたくさんいる。私が同世代の友人と初めてこの話をしたのは三十を過ぎてからで、相手の残高は私とほとんど同じだった。
貯金は、買い物のための金じゃなかった
あの時期に一番きつかったのは、欲しいものが買えないことじゃない。もっと別のところだった。
残高がないと、辞めますと言えなくなる
当時の職場は、褒められた環境ではなかった。それでも辞められなかった。次が決まる前に辞めたら、翌月の家賃で詰む。二十五日分しか持っていない人間に、選択肢はない。
上司に理不尽なことを言われても、飲み込むしかなかった。飲み込みながら、私は自分の生活費を計算していた。あの感覚は、いま思い出しても嫌な味がする。
十万円は、一ヶ月半だけ断れる権利だった
そこで、ようやく理解した。貯金というのは、何かを買うための金じゃない。嫌なことを断るための時間を、あらかじめ買っておくものだ。
三ヶ月分の生活費を持っている人は、三ヶ月ぶんの拒否権を持っている。私は、その権利を三週間分しか持っていなかった。十万しかない、という状態の本当の意味は、そこにある。
もっと節約しろ、という助言が効かない理由
貯金が少ないと言うと、支出を見直せ、と言われる。あれが一番こたえた。見直していないわけじゃない。すでにやった上で、残っていないのだ。
削る余白は、とっくになかった
手取り十八万で家賃六万を払っている人間の生活は、そもそも贅沢ではない。外食はほとんどしない。服も買わない。飲み会は断る。その状態で、さらに削れと言われても、削る場所がない。
私が最後にやったのは食費を切り詰めることだった。一ヶ月、もやしと卵と豆腐で回した。二週間ほどでどうにもならなくなって、週末にコンビニで散財した。結局その月は前より使っていた。冷蔵庫を開けるのが怖くなって、残高を毎日確認するようになったのも、この頃だ。
削るという方向で頑張れば頑張るほど、私はすり減っていった。
動いたのは、月に一度の判断で終わる部分だった
流れが変わったのは、毎日の努力をやめてからだ。
通信費を格安の会社に替えた。それで月に四千円。使っていないサブスクを三つ解約して、二千円。保険を見直して、二千円ほど。合計で月に八千円、年間で十万円近くになった。私が自炊で必死に浮かせていた額と、大差なかった。
しかも、この八千円は、二度と頑張らなくていい。一度手続きを終えたら、翌月から自動的に浮き続ける。毎日の我慢は毎日消耗するが、固定費の見直しは一回で終わる。順番が逆だった、と気づくのに半年かかった。
家賃は動かせなかった。引っ越しにも金がかかるからだ。ただ、次の更新のときにもっと安い部屋へ移る、と決めておくだけで、少し呼吸が楽になった。
二回目の十万円は、意味がまるで違った
三十一歳のとき、体調を崩して入院した。その頃には三十万まで貯まっていたのに、退院した時点で十万を切っていた。
病院の会計を見た日のこと
窓口で金額を見たとき、視界が白くなった。仕事も休んだから、その月の収入も落ちる。家賃の引き落とし日が近づいてくるのを、指折り数えていた。
同じ十万円でも、二十七歳のときは、まだ底に足がついていた。三十一歳のあれは、崖の縁だった。減ってきた十万円と、これから増える十万円は、別の生き物だと思う。
あとで知って、悔しかった制度
このとき知ったことを書いておく。医療費には、収入に応じた月ごとの上限を定めた制度がある。窓口で一度払ったあとに戻ってくる場合も、事前に手続きすれば最初から抑えられる場合もある。会社員なら、病気で働けない期間の収入を一部補う仕組みもある。
私はそれを、入院してから調べた。もっと早く知っていれば、あの白くなった視界は防げた。貯金が少ない人ほど、この手の制度を先に知っておいたほうがいい。持っている現金の少なさを、制度がある程度肩代わりしてくれる。
触らない口座を、ひとつ作った
回復してから、口座を分けた。生活用と、絶対に触らない用。触らないほうに十万を入れて、キャッシュカードは引き出しの奥にしまった。
金額は増えていない。同じ十万だ。それでも、これは使えない金だと決めた瞬間から、夜中にアプリを開く回数が減った。使ってしまうかもしれない十万と、使わないと決めた十万は、心の中で別の重さになる。
生活費の三ヶ月分を持っておけ、とよく言われる。私の場合は四十万近い。当時の私にはそびえ立つ壁で、聞くたびに気が滅入った。だから途中の目印を作った。まず二十万。次に三十万。壁を一度に登る必要はない。
いまの残高は六十万ちょっとだ。安心と言える額ではない。夜中にアプリを開く癖も、正直まだ残っている。ただ、開いたあとで眠れるようになった。
貯金額を人に言えるようになるまで、四年かかった。言ってみたら、相手も似たようなものだった。あの頃の重さの半分は、金額そのものではなく、誰にも言えないことのほうだったらしい。残りの半分は、いまも金額のままだ。そこは、まだ何も解決していない。